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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第10回 山田琢也さん

第10回 山田琢也さん

2010年盛夏、野沢温泉オリンピックパークの特設ステージ壇上に山田琢也さんの会心の笑顔があった。65kmのロングディスタンスを走り抜く『マウンテントレイルin野沢温泉』において、彼はライバル・望月将悟選手と男の闘いを繰り広げた。涼しげなマスクの裏に潜む熱きハート。その輝かしい経歴や活動はあまり明らかにされていない。
32歳。トレイルランナーとして、最も油の乗った年頃。次代のエースの昨日・今日・明日。

やまだ・たくや

1978年長野県木島平村出身。小学生よりクロスカントリースキーに親しみ、飯山南高校、同志社大学時代は全国大会で活躍。その後スキーアーチェリーに出会い社会人3年目に3年間ドイツ(ヴァルガウ)へスキー留学。2007年ロシアで行われた世界選手権12.5km個人で金メダル獲得。帰国後夏のトレーニングとして留学中実践していたトレイルラン二ングのレースに参戦。初レースの『八海山登山マラソン』(07)で優勝。以後国内のビッグレースで活躍。この夏『OSJ志賀高原トレイルレース』27kmの部優勝。『野沢温泉4100D』準優勝といま波に乗っている。

[愛用マテリアル]

●シューズ/モントレイル・ロックリッジ他
●バックパック/マウンテンハードウェア
● ウェア/マウンテンハードウェア
* いずれも2010年8月時点

クロスカントリースキーに没頭した青春時代

愛するスロスカントリースキーは今も現役だ。2009年新潟国体クラシカル10km競技より(撮影=藤巻翔)
愛するスロスカントリースキーは今も現役だ。2009年新潟国体クラシカル10km競技より(撮影=藤巻翔)

眉をゆがめた苦しい表情が一瞬優しくなった。苦しいレース終盤でもファンが声援を送ると必ず応えてくれる。彼の爽やかなスマイルは灼熱の夏のレースで清涼感をもたらしてくれる。

冬は雪に覆われる長野県北部の木島平村で生まれ育った山田さんは周囲の子供たちと同じようにスキーに嵩じ、クロスカントリースキーのチャンピォンを目指して日々練習に励んだ。

「ここ飯山周辺はクロスカントリースキーのメッカで、小学校では冬になると全校生徒が体育の授業でスキーを行うくらい盛んです。クラスで一番運動ができるやつは必ずスキー部に入りました。僕もご多分にもれず、小さいときからスキーは生活の一部になり中学・高校とスキー部に入りました。
僕が通った飯山南高校は全国でも有数のスキーの強豪校で、県外からもトップ選手が集まってきました。部員は当時100人を超えていました。母校からは数多くのオリンピック選手を輩出しており、前回のバンクーバー冬季五輪にもクロカンチームからは3名のOBが出場しました」

勝って当たり前という使命――
千曲川の花畑で山室さん(チームモントレイル)と偶然に…(撮影=藤巻翔)
千曲川の花畑で山室さん(チームモントレイル)と偶然に…(撮影=藤巻翔)

全国有数の強豪選手が集まる飯山南の代表選手に選ばれる事はとても難しかった。先輩や後輩には全国優勝経験者や、ナショナルチームに所属する選手がたくさんいて、部員間での激しい競走があった。

「学年は関係なく部員全員がライバルでした。普段は冗談を交わす仲間なのですが記録会となると皆、突き刺さるような目線に…(笑)。
インターハイは一度だけ、高校2年時の秋田インターハイに出場しました。結果は15km個人で11位、リレー(4名)で3位。飯山南の代表で出場するからには、個人は一ケタ、リレーは優勝して当たり前と考えられていましたから、惨敗でした。高校時代は厳しいトレーニングによって成長はしていたのでしょうが、目標が高かっただけにいつも満足ができなかった。周りの期待に応えられない自分にガッカリしていました」

その後同志社大学に進学し、京都で一人暮らしを始めた山田さん。大学での4年間は彼をひと回りもふた回りも大きく成長させた。

「同志社を選んだのは寮がないからです(笑)。大学のスキー部は選手の主体性を尊重したので、再びスキーの面白さが実感できるようになりました。やらされるのではなく、自分の頭で考えて準備を進める事の楽しさ、そして厳しさの両方を知りました。4年のとき高校の後輩でもある服部と組んだインカレ(大学選手権)のスプリントリレーで優勝しました。ベストを尽くすという事の本当の意味、そして価値を学んだ4年間でした。
大学時代は友人が沢山できましたが、一般受験で入学してきた彼らは自分とはまったく異なる価値観を持つ連中ばかりで、その後社会に出ていくうえでとてもいい刺激を受けましたね。いまも全国各地へ仕事で出かけると当時の仲間と二日酔いになるほど飲みます(笑)」

スキーアーチェリーとの出会い。生涯スポーツとの関わり

スラックラインの簡単な上達法をみつけました(撮影=藤巻翔)
スラックラインの簡単な上達法をみつけました(撮影=藤巻翔)

卒業後、故郷の新聞社に就職した。仕事の合間を縫ってトレーニングは継続していた。スキー仲間からの紹介で『スキーアーチェリー』に出会う。そしてドイツへ。

「本当は大学を卒業後、クロカンスキー選手として数年間はやりたかったんですけど、00年ごろは企業スポーツがどんどん減っていて、成績も特別いいわけではなかったので競技では就職できなかった。その頃、友人からスキーアーチェリーという競技を薦められ仕事をしながら競技を続けていたら3年目にクラレの欧州法人が支援してくれるチャンスが巡ってきたんです。思い切って会社を辞め、プロに憧れて渡欧しました。
所属した現地のスキークラブにも周りにも、日本人がまったくいない環境で最初はすごく辛かった。言葉も文化も違うチームに馴染めず、また結果が全てという世界はプレッシャーが半端じゃなく、厳しい現実をつきつけられました。
その後は徐々に言葉を覚え、友人が出来きはじめると、トレーニングの取り組み方も積極的になりコーチとの信頼関係も深まった頃、競技結果に変化がでてきました。ドイツに渡って3年目にロシアで行われた世界選手権の12.5kmで金メダルを獲る事ができました。ヨーロッパで勝負しようと思ったら、そこの生活習慣や文化になれる事は大事だなと思いました」

『ブレッグラウフ』で覚えた山の魅力――
地元開催のビッグレース『野沢温泉4100D』では酷暑をものともせず激走
地元開催のビッグレース『野沢温泉4100D』では酷暑をものともせず激走

ドイツ留学中、山田さんはトレーニングの一環としてトレイルラン二ングを実践していた。そして頂を極める達成感を覚えた。

「クロスカントリースキー選手のトレーニングのひとつにポールを持って山を走ったり歩いたりします。僕の暮らしていたヴァルガウは周囲に大きな山があり、トレイルも綺麗に整備されていました。オフのトレーニングでは、よく周辺の山へ走りに行きました。向こうでは『ブレッグラウフ』と呼ばれていて、直訳すると「山走り」です。スキーのためのトレーニングだったのですが、だんだんとそれは二の次になり「登山って楽しいな」と感じるようになりました」

2007年帰国すると日本でトレイルラン二ングの大会の存在を知った。時はまさにトレイルラン二ングブーム幕開け。そして、腕試しに早速レースに出場してみた。

「もうこれ以上はできないという気持ちで、スキーに一区切りつけて帰国しました。新しい仕事に就きましたが、やっぱり生活の中にアスリートの部分は残しておきたいと思っていました。そこでドイツの山々で走っているうちに魅力を感じていたトレイルランニングを始めようと思いました。またギアのカッコよさも理由の一つでした。
4月に新潟の八海山でレースがあると聞きエントリーしました。優勝するとモントレイルのシューズをもらえるということで(笑)。そうしたら優勝してしまいました。7月の北丹沢では4位、これは手強いなと思いましたが、もうハマっていましたね。スキーとともにもう一つの目標として挑戦してみようと決めました」

『インサイドアウト・スキークラブ』設立――
『志賀高原トレイルフェスティバル』(50km)のゴール直後。インサイドアウトの良き仲間であり、強力なライバル達
『志賀高原トレイルフェスティバル』(50km)のゴール直後。インサイドアウトの良き仲間であり、強力なライバル達

現在、山田琢也さんはモントレイルチームのトップランナーとして国内のレースに参戦。『日本山岳耐久レース』を始め『OSJ志賀高原トレイルレース』などのメジャー大会で常に上位に君臨している。
一方で、地元飯山を本拠に『インサイドアウト・スキークラブ』(NPO法人)を設立し、クロスカントリースキーをベースに四季を通じたさまざまなアウトドアスポーツ普及と地域活性のため活動している。そこには彼がドイツで体験し間近に見た地域のスポーツ振興への取り組みや、生涯スポーツへの理念が生かされているに違いない。
同クラブには彼等に賛同する地元飯山出身のアスリートが多く参加している。その多くが、元クロスカントリースキーのトップ選手。そして、彼らもまたトレイルラン二ングレースに続々参戦。頭角を現わしつつある次代のトップランナーたちだ。雪上だけではない、トレイルランでも信州の選手層は分厚いのだ。

「スタートはこのスキーの楽しみをもっと多くの人に知ってもらいたいということで始めましたが、今では冬はクロカンにスノーシュー、グリーンシーズンはノルディックウォーキング、トレイルラン二ング、MTBなど、僕らが暮らす地域の地形をそのまま使い、自然に負担をかけずに楽しめるアウトドアスポーツの紹介をしています。『たかやしろトレイルレース』は3年前から開催し、多くの方にご参加頂いております。地元飯山の祭りではノルディックウォーキングのイベントも採り入れていただいています」

「クラブの使命は、この地に遊びに来る方々や地元の皆さんがスポーツを通じて野外で楽しく過ごせるよう『工夫をする』ということです。イベントや活動は拡大することが目的ではなく、あくまで継続していくことが目的です。例えばトレイルランニングのレースは何千人のイベントにする事よりも、10年後も、20年後も続いていく大会でありたい。そのためには参加者や地元の方々にとって、魅力的で価値のあるものでなくてはなりません。将来、そうなっていれば僕らは使命を果たせた、ということになるのでしょうね」

それこそ日本全国にはさまざまなスポーツのアスリートがいて、そのキャリアを生かすことなく故郷を離れ都会に出て行ってしまう若者は数知れない。一方でスポーツ振興は全国の各地域で行われているが、そのスタイルは地方でも同じく都市集中型と言わざるを得ない。さらに、当初から運営に大きな資金調達と施設が必要な総合スポーツクラブ。100年育てている時間はないから、まずはプロチームありきという発想も日本ではしかたがないのか。
しかし、都市には都市、過疎の山間部や雪国の地方には地方なりの自然を生かした遊びやスポーツがあるのだ。スキー、スノーボード、登山、キャンプ、ラフティングもしかり。森林と山が国土の7割を占める日本。その裾野では多彩なアウトドアスポーツや自然体験ができる。NPO法人として故郷の豊かな自然を活用してスポーツ普及に努める「インサイドアウト・スキークラブ」。運営するのはその土地で生まれ育ったアスリートたち。これぞスポーツ後進国『日本』が最も必要とする、地域スポーツクラブの原点だと思う。

取材インタビュー/2010年7月19日

山田琢也さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

ベストを尽くす

トレイルラン以外でいま、熱中していることは

読書、駅伝、ノルディックスキー、ノルディックウォーキング、

あなたにとっての師匠は?

会社のボス(考え方や行動がいつも勉強になる)
トレイルランニングで影響を受けているのは田中淳(NPOインサイドアウトS
C)。トレイルランニングをはじめるキッカケも彼。

ライバル・良き仲間はいますか?

チームモントレイル
NPOインサイドアウトSC
駅伝チームのNDF

自分はどんな人間だと思いますか?

チームメイトには「まじめでさわやかでエロい」と言われます。
最後の一言以外は合っていると思います(笑)

レースにおいて常に心掛けていることは何ですか?

・コースを間違えない
・補給のタイミング
この二つでとても痛い目をみたので。

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