2012/01/09
第27回 菊嶋 啓さん
目標を失う事で挫折し、長年親しんできたスポーツから一時、遠ざかってしまうことがある。しかしこれをバーンアウトとくくってしまうのは危険だ。なぜなら燃え尽きてはいないからだ。
青春を陸上競技に捧げながら、あと一歩のところで望みを叶えられなかった青年がトレイルランに出会い、レースシーンでいま輝きを放っている。彼もまた捨て去ることはできなかった。その快感を体が覚えているから。
1982年山梨県甲府市出身。中学時代に地元・大国陸上クラブに入部し陸上競技を始める。以後、高校、大学と陸上部に所属。陸上自衛隊(富士駐屯地)に入隊後、富士山登山駅伝のチームメンバーとして貢献。27歳の春にハセツネ30Kでトレイルランレースを体験し、その魅力に引きずり込まれた。2年目となった昨シーズンは、富士忍野トレイルレース(ロング)、富士登山競走(5合目コース)、武田の杜トレイルラン二ングレースで優勝。2度目のハセツネではチームスポルティバの若きエースとして4位に入賞し、一気にブレイク。いよいよその潜在能力を発揮し始めた。
●シューズ:スポルディバ、inov8
●バック:ノースフェイス、ネイサン、inov8
●ウエア:スポルティバ、モンチュラ
*2012年1月現在
走ることを諦めないこと。自分の意志に素直であること

- 昨年の日本山岳耐久レースではチームスポルティバの中心選手としてスタートからレースをリードした
年末の山梨県甲府市、小瀬スポーツ公園陸上競技場。
「久しぶりですね。中学生のころからここで幾度となく走って来ました。初めてトロフィーをもらったのもこのトラック。僕の原点ですかね」
昨年10月22日、第19回日本山岳耐久レース――
フィニッシュエリアに飛び込んできたその顔には悔しさがにじみ出ていた。2度目の参戦で4位は立派な成績だ。しかし彼は満足していなかった。
3位の沁選手に1分10秒及ばなかった。レース中、先行する沁選手に一度は先行し、再度追いついた。しかし、御前山の登りで抜かれ、日の出山の登りで離された。
「まだまだですね。今年は優勝を狙ってスタートに立ったので、4位には満足していません。8時間切り(7時間57分)という最低限の目標は果たせましたが、沁さんには勝たなければいけなかった」
事実、日の出山を超えてから、彼は猛追した。昨年は73分要したこの区間を69分台で走った。しかし捉える事はできなかった。
勝負に「あと少し」はない。結果が全てであることを彼はこれまでの経験で分かっている。
青春の蹉跌――

- 12歳の時、ちびっこ駅伝で区間賞をとりチームも入賞。バックはその後、高校までお世話になる山梨県立小瀬スポーツ公園陸上競技場
少年は小学生の頃、毎年正月に自宅のテレビで、箱根に向けて襷をつなぐランナーの姿をぼんやりと見ていた。
菊嶋さんが本格的に陸上競技を始めたキッカケは、当時はまだ珍しい陸上競技のクラブとの出会いから。
「中学3年の時、学校対抗の駅伝大会に出場しうちの学校は3位になりました。ところが市内に大国陸上クラブというクラブがありまして、そこの子たちがダントツに速かった。サッカーや野球よりも自分にとってはカッコよかった。そこで大国で走りたいと。
当時家が山の方にあって、下りで30分、上りはそれ以上かけて自転車で通っていました。帰りは登り坂で自転車を押しながら歩いてくるので、帰宅は夜8時とかです。夕飯はよく一人で食べてました。でもクラブはとても楽しくて、最後はいつもリレーで終わるのですけど、走る楽しさを完全に刷り込まれてしまいました」
高校は県内でも有数の進学校である駿台甲府に進学。陸上部に所属し、3000m障害で3年時に県1位になり南関東大会に出場したが9位でインターハイ出場を逃した。秋の国体ではそれまで一度も負けたことのない選手に負けて、全国の舞台には立てなかった。
悔しかった。でも、まだまだ陸上にかける情熱は菊嶋さんの心の中でパチパチと音を立てて燃えていた。
中央大学に学校推薦で進学。スポーツ推薦ではないが高校時代のキャリアは評価に値した。ためらうことなく陸上部に入部。箱根を走る夢は、明確な目標になっていた。しかし、全国から集まるエリートたちのレベルは高かった。
「合宿所はスポーツ推薦で入部してきた凄い連中で埋まり、僕のような一般入試組みは合宿所の隣にアパートを借りて部活動してました。中央ではかなり珍しい選手だったと思います(笑)」
エリート集団の中で切磋琢磨し、3年の春、関東インカレではハーフの3名の中に菊嶋さんは名を連ねた。しかし夏に左ヒザの疲労骨折。残りのシーズンはリハビリに費やした。4年になりやっとチャンスがやってきた。6月の全日本大学駅伝予選会の10名のメンバーに入った。しかし、11月の箱根メンバー最終選考の16名に漏れた。
「最終学年で、箱根に出場して活躍し、実業団を目指すという青写真はもろくも崩れました。調子がよくて、自分としてはメンバーに入れる自信があったので、就職活動もまともにやっていなかった。それで卒業を迎え、山梨にも帰らず東京でフリーターやってました。なんだかこのまま終わりたくなかったというか、東京にいれば何とかなるのではという漠然とした思いだけで。とりあえず、飯食わせてくれるということで4月に開店したばかりの台湾料理屋で皿洗いです(笑)」
誰もが経験する青春の蹉跌(さてつ)。しかし、つまづくから立ち上がることができる。
自衛隊に入隊――

- 『C』のマークを胸に、走り続けた大学4年間
台湾料理店に入って半年が過ぎた。小龍包の有名店で、社員としてやってみないかという社長からの誘いを受けた。
「ありがたい話で、腕を磨いて一流の調理人を目指そうかとも考えましたが、反面、そうなれば『もう一生走ることもないのだろうな』という予感もあったと思います。迷っていた頃、アパートに戻るとポストに自衛隊職員募集の資料が入っていた。母親が心配して、資料を取り寄せて送ってくれたのです。
陸上自衛隊に入れば走れることは知っていました。友人は実業団で走り続けている。地元の加藤さん(大国陸上クラブの先輩であり、現在トレイルランナーとして活躍中)には山梨県下一周駅伝に誘われていたこともあり、決めました。12月に試験を受け、3月末に入隊しました」
6か月の教育期間中、体力測定を兼ねた3km走があった。大学の時は8分台で当たり前のように走っていた3kmに11分かかった。明らかに体力が落ちていた。
9月に部隊配属が決まり、静岡県小山町にある富士駐屯地に勤務する事になった。そのキャリアを買われ、翌1月に富士登山駅伝のメンバーに入るべくトレーニングが始まった。
「丸2年走ってなかったので、まずは5000mで大学の頃のレベルに戻して行こうと。まずジョギングからスタートして、30分走のインターバル。どんどん速くなっていくのが分かり、陸上を始めた頃の新鮮な気持ちを思い出しました」
その夏、富士登山駅伝で2区+10区を担当し区間4位でチームに貢献。以後、この夏の対抗駅伝が一年の大きな目標になった。
トレイルレース2シーズン目で実力開花。目標はあくまで高く

- 昨年2位になった北丹沢山岳耐久レース。カメラマンに笑顔で返す余裕も出てきた
自衛官になり3年目、その年の12月に県内一周駅伝で甲府市代表として出場し優勝。学生時代、もう一歩のところまで迫りながら、何度も目標を逃してきた彼は、故郷に帰り一躍ヒーローになった。走ることを諦めないでよかった。
年末、チームメンバーの加藤さんから韮崎の茅ケ岳で年越しトレイルランに誘われた。初めてのファンランは山登りの印象しかなかった。
「加藤さんからトレイルランの話はよく聞かされていました。一度連れて行ってもらおうと思っていたので、シマムラで買った靴下に、穴のあいたシューズで行きました。そのときヤマケンさん(第1回登場の山本健一さん)に初めて会いました。彼は笑っていましたけど変なヤツだと思われたでしょうね(笑)」
ハセツネ30Kで衝撃デビュー――

- 昨年末、武田の杜トレイルラン二ングレースで優勝。右からヤマケン(山本健一)、石川弘樹氏、山田琢也選手(2位)との1コマはもはやトップランナーの証
「翌年は教育実習で6月から12月まで仙台に行きましたが、8月に山梨に帰ってきたときに、今度は甲斐駒ケ岳(南アルプスの名峰のひとつ)に連れて行ってもらいました。さすがにこのときは、前日に『エルク』(甲府のアウトドア用品プロショップ)でトレランシューズとハイドレーションパックを買いました。でも山頂についてぐったりしていたら皆に笑われた。それまで富士山くらいしか高い山は登ったことが無くて、きつかったですけど楽しかった。トレイルランにまた行きたいと思いました」
27歳の春、誘われるままにハセツネ30Kで初めてのトレイルレースに出場した。結果は加藤さんに次ぐ2位。ちなみに加藤さんは前年度、奥宮俊祐選手とトップを争い惜しくも敗れたが、この年タイトルを奪取した。
「加藤さんに1月から3月まであちこちの山に連れて行ってもらいトレーニングを積んだお陰です。でもレースでは加藤さんに勝ちたいと思った(笑)」
しかし5月の富士忍野トレイルで9位に後退した。
「初レースで2位になって浮かれていた。もう一度ちゃんと練習しようと思いました。でも2位になった青木さん(自衛官の友人でエリートランナー)からは『トレイルランは勝ち負けだけではない、山を楽しむ気持ちがなければだめだよ』と言われた。そうゆう考えもあるのだと思いました」
ひとつひとつレースに出場する度に経験を積んでいった菊嶋さん。この年ハセツネにも挑戦し7位になった。余談ではあるが昨年2度目の優勝を果たした相馬選手も初参戦は7位。そして翌年優勝。
「加藤さんの成績を上回って、褒められました」
彼の話には加藤淳一さんがよく出てくる。大国陸上クラブの先輩は、彼の良き師匠であり、もっとも信頼のおける友だということが分かる。彼いい師匠に巡り合ったと思う。
2012年はどうする――

- 『エルク』で知り合った仲間と恒例の茅ケ岳年の瀬トレイルラン。トレイルランを通じた交流もまた楽しい(前列右から二人は加藤氏)
昨年は優勝した3つのレースに加え、春から関東一円のレースに積極的に出場して入賞を続けた。走り続けた2011年だった。いったい今年のどこに目標を置くのだろう。
「昨年はレースに出まくりでしたが、2年やってきて、自分の出たいレースが見えてきました。今年はUTMFもありますね。160kmなんて未知の世界なので、自分の限界を試してみたい。その前にこの冬はスノーシューのレースに出たくて、妙高にするか草津にするか迷っています。もうエルクで買いました(笑)」
「いつかは海外のレースにも出てみたいですが、その前に国内で大きなタイトルをとらないと…。当面はハセツネの優勝です」
相馬剛、奥宮俊祐、北丹沢・道志の好敵手、近藤敬仁ら強敵は大勢いるが、彼は「優勝」という言葉を平然と口にする。自信がなければ言えない目標だ。
「表彰台に絡みたいという目標設定だと6位になってしまう。だから出るレースは全て1位を狙います」
菊嶋さんは富士登山駅伝(五合目コース)で優勝した際、地元新聞のインタビューでも同様に応えていた。このレースは今年の山頂コースを目指す前哨戦。優勝すれば既成事実とうけとられがちるだが、4位に終わったハセツネの後も同じように『1位を狙っていた』と言い切った。
なるほど。最初からこの程度で妥協しようという目標では、目標以上の成績は望めない。だからとびっきり高い目標がいいのだ。彼の力とモチベーションをもってすれば決して不可能な目標ではない。
取材インタビュー/2011年12月22日
菊嶋 啓さんへの質問
- 好きな言葉・座右の銘を教えてください
努力は裏切らない。
最後まで諦めない。
人生は挑戦である。
- トレラン以外でいま、熱中していることは
『エルク』(甲府のアウトドアショップ)で人とのつながりを増やすこと。
温泉(山の帰りの温泉は最高です)
スノーシュー(熱中するかも? 今年から始めます)
- あなたにとっての師匠は?
両親。人生の師匠です。
加藤淳一さん。山本健一さん。青木光洋さん
- ライバル・良き仲間はいますか?
加藤淳一さん。師匠であり最大のライバルです。
淳一さん、山本さん、青木さんは良き先輩です。尊敬しています。
相馬さん。レースでは意識する存在です。
- 自分はどんな人間だと思いますか?
楽観的。ホント適当で、何事もなんとかなると思っている。でも意外と繊細な所もあり
- レースにおいて常に心がけていることは何ですか?
自分のスタイルで自信を持って走ること。そして、力を出し切り最後まで諦めないこと。
あとは、キツイ中でも楽しむこと!








