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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第29回 西城克俊さん

第29回 西城克俊さん

西城さんは努力家だと思った。何事にも真摯に向き合い、目標に向かって一歩一歩着実に進んでいく。努力家に共通しているのは、マイペースであること、そして諦めたくなりそうになるくらい辛い局面で「粘る」強いハート。
いちランナーとして、指導者としてランニングの普及に努める日々。進歩していくプロセスを肌身で学んできた経験値は指導にも生かされる。こんなコーチに学びたい。

西城克俊(さいじょう・かつとし)

1974年4月8日北海道生まれ、岩手県花巻市育ち、現横浜市在住。大学まで陸上部で競技を続けた後、将来、スポーツの世界での活動を目指し筑波大学大学院へ進学。大学院終了後、『ニッポンランナーズ』で金哲彦氏に師事し、市民ランナーのコーチングのイロハを学ぶ。数々のコーチ活動を経て、2010年、ランニングクラブ『Run Field』設立。一人ひとりの個性に合ったランニングアドバイスに心掛けている。自ら「生涯チャレンジャー」を目指し、ひとりのランナーとしてロードからトレイルラン二ングまで幅広いジャンルのレースに参戦。2011年度は、信越五岳110K、神流マウンテンラン&ウォーク50Kのビッグレースでともに準優勝。patagonia Trail running Team所属。

[愛用マテリアル]

●シューズ:パタゴニア
●バックパック:ネイサン、サロモン
●ウエア:パタゴニア
*2012年2月現在

陸上選手をサポートする喜びを知ることで進路が見えた

2010信越五岳110K。第1回大会から3年連続出場するこの大会は自然あふれる大好きなコース
2010信越五岳110K。第1回大会から3年連続出場するこの大会は自然あふれる大好きなコース

生まれたのは北海道の岩見沢市だが、父親の仕事の関係で幼少時、岩手県花巻市に引っ越した西城さん。高校まで岩手県で育ったから、こてこての東北人。昨年の東日本大震災では花巻は内陸なので直接大きな被害は受けなかったものの、三陸には高校時代の友人も多い。
「3歳で岩手に引っ越してきたので、北海道の記憶はないんです。花巻は岩手では都会と言っても少し行けば田んぼや山が広がる自然豊かな所。いまも子供の頃に遊んだ里山やのどかな生活はそのままです。だから三陸や宮城、福島の皆さんのことを思うと、まだまだこれからなので辛いですね」

走り始めた訳は――
信越五岳ではチーム・パタゴニアのリーダーとして選手のポテンシャルを引き出した
信越五岳ではチーム・パタゴニアのリーダーとして選手のポテンシャルを引き出した

運動が苦手と思っている子どもの多くは、幼少の頃の体の大きさによって生まれる体力差によって思い込むことが多い。例えば、走ったり、ボールを投げたり蹴ったり、相撲をとったり、といったケース。しかし、そもそも人間にとり、熱いモノを触ってすぐ反応するように運動神経の良し悪しはなく、体力差などは成功体験や反復練習によって培われる自信が埋めてしまう。自信をもった子どもはそれからグングン伸びる。

「小さい頃は運動オンチと思いこんでいて苦手意識が強かったのですが、小学校4年の時、学校で校内を毎日1km走ろう、という活動がありました。上級生にくっついて走るうちに、短距離ではいつもビリだった自分が、気づいたら長距離で先頭を走っていた。どんどん走るのが楽しくなって5年生の時は校内でいちばん走る子でした。まったく目立たなかった子どもが褒められて、周りに注目されて、6年生の時には市の大会に選ばれた。これが僕のランニングの原点です」

『キャプテン翼』の時代。岩手はサッカーも盛んな土地。西城少年はサッカーの虜になった。

「中学はサッカー漬けの毎日でした。ポジションはGK。でも持久力はフィールドプレーヤーの誰にも負けませんでしたよ(笑)。走るほうは、中学になってからも市の大会に学校代表として陸上競技大会や駅伝に出場しましたが、サッカーの方が楽しくて、どちらかというと周りに走らされていたという感じでした。でも、駅伝で自分が補欠になった。すごく悔しい思いをしました。それから練習も真剣に参加するようになったとともに、襷をつなぐ駅伝の魅力に取り付かれました」

地元の花巻北高校に進学し陸上部に入部。小学生から続けてきた陸上、走ることへの思いが成長とともに拡大していった。ここからランニングという人生の友とその一歩を踏み出す。

「本当はサッカー部でGKをやりたかったのですが身長が低かったので諦めました。花巻北は3年になると進学に備えて走らなくなる。駅伝は、実質1、2年生で構成されたチームで、決して強くなかった。そんな環境の中で、3年間黙々と走り続けました。走ることが好きだった。ただそれだけです。
大学は東京の拓殖大学に進学しました。当時、拓大陸上部は84年の第60回大会以降何年も箱根駅伝出場を逃していて、全国から選手を集めて駅伝チームの強化を計っていた時期でした。やはり、学生であれば、箱根駅伝はあこがれますよね。一般入部で陸上部の門を叩きましたが、当時は強化部ということで、断られました。何度か食い下がり、やっと練習生として認めてもらい、早くみんなの練習に合流したかったので部活以外でも走っていました。そんなこともあり1年の冬にやっと正式入部させてもらいました。
えっ?  藤原新くん(男子マラソンのロンドン五輪代表)ですか? 彼は僕が卒業した3年後に入ってきた。もちろん大学の後輩ですから、応援しています。活躍見ると、うれしいですよね」

情熱は選手を育て、夢を叶える。

「まあ僕の場合は、箱根どころか陸上部に入る夢で終わってしまったのですが、陸上部での日々は充実していました。ただ3年でケガをして戦力外になりました。退部をして、教員の皆さんがつくったランニングクラブで走り続けました。部活ではタイムを上げることで精一杯、ただ人よりも劣る分、トレーニングの目的、効果を真剣に考えるようになり、『どうすれば走りは速くなるのか』ということに興味が湧き、スポーツ関連の本はもちろん、ついには専門書まで読むようになっていました」

この頃から、西城さんは将来、陸上の指導者になりたいと自分の進路を明確にした。そして卒業後も就職せずにその道を突き進む。

「卒業後、バイトをしながら2年間研究生として学び、筑波大学大学院に入学しました。修士課程(2年間)のテーマは『陸上長距離選手のコンディショニング』。大学院では、自分の競技をすることは考えていなかったので、指導教官の先生が監督だったこともあり、女子長距離のアシスタント(学生)コーチとして、選手のサポートをしました。他にも大学院の研究室には日本代表のアスリートも在籍していて、競技に対する姿勢など、すごい刺激を受けました。そして自分はサポート役として選手の役に立つ喜びを知ることができました」

修士として大学院修了後、マラソンの解説者、プロランニングコーチとしても著名な金哲彦氏の下で『ニッポンランナーズ』の立ち上げに参加。コーチングのイロハを学ぶ。すでに28歳になっていた。

『Run Field』誕生――
信越五岳を完走できたので、奥武蔵70kmにもチャレンジ。トレイルからロードへのフィードもあり
信越五岳を完走できたので、奥武蔵70kmにもチャレンジ。トレイルからロードへのフィードもあり

いま、ランニングは日本人のカルチャー。ランニングブームが到来し、日々走ることをライフスタイルとするランニング愛好者が増大。全国各地でランニング大会が増加中だ。市民ランナーのサークルや倶楽部のニーズも高まりつつある。

「その後、大学の非常勤講師をしながら市民ランナーの倶楽部のコーチを続けていました。トップアスリートではなく市民ランナーの皆さんをサポートするなかで、記録を目指す人をサポートするより、人生において継続して走る喜びを感じてもらうために何ができるかということに自分の役割を見出すようになりました。そして、2年前、仲間とランニングクラブ(『Run Field』)を設立しました。
60歳のランナーの方を目の当たりにして、自分も歳を重ねても、ずっと走っていたいと思った。それが立ち上げの理由です。
最近のランナーの皆さんは、東京マラソンを走りたいという願いがあって、抽選に当たり、そのために走り始める人が多いように感じます。もちろん入り方はそれでもいいのですが、完走して止めてしまうケースもある。そうではなくて、日々のランニングの延長に東京マラソンがあるというランニングライフが理想だと思っています」

Run Fieldの活動は週3回。東京の駒沢公園と新横浜でランニング練習会を行っている。スタッフは大学・大学院で体育、スポーツ科学を学んだ人が多い。ご存知のとおり、少子化社会の中で学校体育の教員の働き口は徐々に狭まっている。そのような社会環境の中で、ランニングに限らず市民クラブにも職業人としてコーチングのエキスパートが参加する社会が日本に定着することが望ましい。

「彼らの活動の場を作りたいという事もあります。ただ市民ランナーをコーチする上で大切にしているのは、タイムを上げるという目標を叶えてあげることももちろんですが、ケガをしないようにランをエンジョイしてもらうことです。これは元アスリートでなくてもいい。むしろ研究者としての視点を持つコーチの方がその能力は長けている面もある。
例えば心拍計を使っている方には、心拍数を用いてのトレーニングの評価方法などをアドバイスします。ランナーの皆さんはキロ何分で走るということに執着してオーバーロードになることもあります。心拍数を用いてランを組み立てることができるようになると、その日の体調や自分の体力に合わせてトレーニングを行えるので、無理なく継続したランができて、それが結果としてタイムアップにつながる。バイオメカニクスを基にランニングフォームを学んできたコーチもいますが、毎週30分のドリルをやるとフォームが格段に安定してくる。毎回見ている生徒さんだから分かるのです」

アスリートは経歴で評価されるが、コーチは選手や生徒を知り、個々にベストなアドバイスとメニューを組み立てられる人。走るモチベーションをつくるアスリートの存在、走りをサポートするコーチ、そして市民ランナー、この三者はトライアングルのように繋がっているのだ。

50、60歳になってもトレイルで新しい挑戦を見つたい

昨年6月、夢の島24時間リレーマラソン。Run Fieldの仲間たちと
昨年6月、夢の島24時間リレーマラソン。Run Fieldの仲間たちと

西城さんとトレイルランとの出会いに衝撃的なドラマはない。必然ともいえる自然な出会いだ。

「子供の頃、家のドアを開けると周囲は森と里山でしたから、森や山道(トレイル)を走るなんて日常でした。小さい頃からトレイルランはインプットされていたように思います(笑)。大学時代、キャンパスが高尾にあったので、体力をつけるという意味で、まず山登りから入った。そうしたら効果がすぐ出て、トラック練習に付いて行けるようになった。大学院に行ってからも気分転換で筑波山によく走りに行きましたね。トレーニング効果ももちろんですが、トレランは心身のリフレッシュになる。レースに出るようになったのはここ4年くらいかな」

トレイルランは歩いてもいい――

2010年9月、信越五岳110K、このレース前に結成されたpatagonia Trail running Teamのリーダーとして相馬剛、山本健一に次ぐ3位でフィニッシュゲートをくぐった。

「100kmを超えるレースは信越五岳が初めて。それまで御嶽スカイレースの47kmが最高でしたから未知の世界です。でも、自然の中を走ると知らない自分に出会える。成績や順位にこだわるのではなく、自分の体力、精神力をすべて出し切ること、この限界点を楽しむ喜びがトレイルならでは。結果は二の次です。
信越五岳ではたまたま3位、2位ときまして、今年は優勝ですね、ってよく言われるのですが、あまり考えてないです。自分は楽しんで走っているだけなので(笑)。もちろん励みにはなります。ありがとうございます」

アスリートには誰しもピークがある。しかし西城さんによればピークを超えてからが楽しみなのだという。

「これからロングトレイルのレースが人気になって、アスリートの方が参入してくれば上位に入れないと思いますが、その中でどうやって老練の自分が頑張れるか、これがまた楽しみでもあり目標です。50、60歳になっても走っていたいし、体力が落ちていく中で、また、あらたな挑戦を見つける。トレイルランにはそのような楽しみ方がある」

一方でちょっと心配な事も。それは山に対する認識。

「トレイルを始めた方でいきなり長距離レースに出る方がいます。レース後、ブログなどで「コースを間違えてさんざんな目に遭った」、「表示が無いから間違えた」、というようなコメントを目にすることがあります。でも山に入ったら自分の責任なのだと思うのです。自分のクラブでこれから始める方には口を酸っぱくして言っています。地図を必ず持つ、すれ違う方には、挨拶をする、ゴミは捨てないなどなど・・。そもそも自然以外、何もない山や森を走るのがトレイルランの原点で、標識や売店も最小限しかない。そこに下界の便利さなどないし、ケガをすれば自力で戻ってこなければいけない。まず、山を知ってほしい。
それからランナーの皆さんは歩くことを罪悪感と思っている節がある。歩いてもいいのです。ランにこだわる必要はない。僕もレースでフツウに歩いてますから(笑)」

取材インタビュー/2012年3月1日

西城克俊さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

堅忍不抜
信は力なり

あなたにとっての師匠は?

これまで出会った方すべて。

ライバル・良き仲間はいますか?

ライバルは、自分かな。
仲間は、RunFieldのメンバーの皆さん。
石川弘樹さんはじめ、patagonia Trail Running Teamの4人。
いつも一緒にトレーニングに付き合ってくれる、平田明寛君。

自分はどんな人間だと思いますか?

我慢強い。コツコツ積み上げることが好き。

レースにおいて常に心がけていることは何ですか?

結果にこだわらず、周りを気にせず、それまでやってきたことを信じて、その日の自分ができることをただやるのみ。

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