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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第34回 荒木宏太さん

第34回 荒木宏太さん

ゆるやかではあるが、それまでマラソンや駅伝を目標にしていたエリートランナーたちがトレイルレースを体験し始めている。彼らにとりそれは意外であり新鮮であり、そして新しいランニングスタイルの発見でもある。荒木さんの場合もそうだ。中・高・大学で10年、自衛隊で5年。さまざまなランを経験してきた彼がたどり着いた結論。ランニングに垣根は無い。

荒木宏太(あらき・こうた)

1984年熊本県玉名郡和水町出身。陸上選手だった父親の影響で幼いころからランニングスポーツに親しみ、小学生時代から県内で頭角を現す。陸上競技の名門・鎮西高校を経て、山梨学院大学に進学。大学4年間で3大駅伝(出雲・全日本・箱根)を代表として走った。卒業後、静岡県の滝ケ原自衛隊に入隊し、中部実業団大会(駅伝)、富士登山駅伝のメンバーとして5年間、陸上を続ける。昨年11月、初めてのフルマラソンとして参加した第36回河口湖マラソンで優勝(2時間22分22秒)。今年3月に自衛隊を退職し、今春より日本郵政の郵便局の臨時職員として仕事の傍ら、日本郵政グループ東京陸上部の中心選手として新たなスタートをきった。6月に初体験したトレイルレース『西丹沢アドベンチャートレイルin山北』で初優勝。強豪実業団がひしめく一般の部で出場した富士登山駅伝ではエース区間の6区を任されチーム5位に貢献した。

[愛用マテリアル]

●シューズ:ナイキ
●バックパック:サロモン
●ウエア:ナイキ
*2012年8月現在

陸上長距離と向き合った学生時代。成長させてくれた日々

初めて参加した西丹沢のトレイルレース。一回でその楽しさが分かりました
初めて参加した西丹沢のトレイルレース。一回でその楽しさが分かりました

6月、神奈川県西丹沢で開催されたトレイルレースに荒木さん初めて参加した。受付に遅刻して、スタートしたのは定時2分遅れ。参加選手約400人をロード区間で抜いて、間もなくトップに追いついた。
「富士登山駅伝にチームで出場する事になり、6区(山頂往復区間)を担当する事になり、登りのトレーニングのつもりで参加しました。勝手が分からず初戦からドタバタのレースでした。寡黙に走っていると、横に並んだ選手が話しかけてくるんです。『登りキツイね』『トレイルランのレースは初めてですか』って。
ロードの世界ではありえないことなので、始めは戸惑いましたけど、会話しているうちに『このスタイルいいな』って思いました。そのランナーは山田琢也さんだったのです」

西丹沢のトレイルレースの模様はBS朝日で全国に放映された。その一週間後に開催された北丹沢山岳耐久レースでまた荒木さんは驚いた。
「北丹沢の会場で知らない人からたくさん声をかけられました。『先週TVでみましたけど、西丹沢出てましたよね?』って。このレースで競い合った近藤さん(2位)ともフェイスブックをつうじてやり取りするようになった。まだ2戦しか出てないのに友達がいっぱいできました。『トレイルランは楽しいよ』って友人からも聞いてましたけどその訳が分かったような気がします。ロードレースみたいにタイムを気にする必要もない」

偉大なる故郷の先輩――
熊本・鎮西高校時代の県内クロカンの大会。当時はみんな坊主頭です
熊本・鎮西高校時代の県内クロカンの大会。当時はみんな坊主頭です

荒木さんの生まれ故郷、熊本県玉名郡和水町は伝説的な陸上選手の故郷でもある。
「子供のころからお婆ちゃんや父親から金栗さんの話はよく聞かされていて、和水町では知らない人はいない地元のヒーローでした。街中に銅像も立っているので子供だって気になります(笑)。そうゆうことも関係してか熊本はマラソンが盛んで、父も元陸上選手で中学の陸上部のコーチをしていましたから、走ることは自然の成り行きでした」

箱根駅伝のファンなら金栗四三(かなくりしそう)という名を知っているはずだ。金栗氏は明治から大正時代にかけて活躍した陸上の長距離ランナーで、1911年(明治44年)、翌年に開催されるストックホルム五輪の予選会で、マラソン足袋を履いて当時の世界記録を27分も短縮する2時間32分45秒(当時の距離は25マイル=40.225km)の記録を打ち立てた。残念ながら本戦ではレース途中に日射病で倒れて近くの農家で介抱され、目を覚ましたのは翌日、競技が終了してからだった。また、ランナーとして最も脂の乗った4年後のベルリン五輪は第一次世界大戦の勃発で開催中止。その後アントワープ、パリ五輪と3回のオリンピックにマラソン日本代表として出場した。引退後は箱根駅伝の開催や、高地トレーニングの導入など日本マラソン界の発展に大いに貢献した。陸上界で「マラソンの父」と称される、まさに伝説のランナーだ。

そんな町に生まれた荒木さんは、父親の指導で長距離走を始める。
「小学2年のとき、父親と初めて親子ペアマラソンという3kmのレースに出て優勝しました。それがキッカケですね。それからは毎年、県内のマラソン大会は全て出ましたね。体が大きかったこともあり上級生にも勝ちました。昨夏の韓国テグ世界陸上のマラソン代表の織田賢典さん(現トヨタ自動車陸上部)も同郷で、4つ上ですけど小さい時からあちこちの大会で一緒でした」

地元中学に進学し陸上部に入部。
「春の県の新人戦にでたら1500mで7番。『あれっ?』って思いました。何しろ半年前(小学6年)の800mで県4番だったので…。中学生になると運動の好きな子供たちが各校の陸上部にたくさん入部してきます。地元では一番でも、外には強い選手がいっぱいいるということが子供ながらに分かりました。これは甘くないなと。中3の通信陸上(全国中学校大会の予選)では3000mで9分14秒というタイムを出しましたが、あと7秒足りなくて全国には行けなかった。やっぱり甘くない(笑)」

大学3大駅伝出場――
昨年11月、初のフルマラソンで優勝。出来過ぎのレースでした
昨年11月、初のフルマラソンで優勝。出来過ぎのレースでした

高校は九州地区の名門・鎮西高校に進学し陸上部の門を叩いた。
「鎮西は日本で一番きつい学校と県内では噂でした。生徒指導や運動部の鍛錬の厳しさは有名で、野球やバレーボールなど全国大会を目指す運動部がゴロゴロあるなかで、陸上部の駅伝・中長距離メンバーもまた、ライバルの九州学院(熊本)や鹿児島実業(鹿児島)、小林(宮崎)など強豪校と競い合う3年間でした。
自分はそれほどきついと思いませんでしたが、たぶん寮生活のことを言うのでしょうね。運動部の生徒は基本寮生活なのですが、僕らの寮は監督の自宅で、学校までは片道1時間、自転車通学。授業が終わり学校で一通りの練習を終え、寮に戻ってから食事・掃除・洗濯すべて自分たちでやります。だから毎日おかずは煮物でした(笑)。実は煮物が一番簡単で栄養のバランスもいい。
寮にはテレビ、新聞もなく、世間で大きな事件が起きた時は、監督が新聞のコピーを取ってくれて部員で回し読みしました。毎日4時半に起床し朝練して、朝食の当番は食事を作り、自転車で学校に行きます。もちろん普通に宿題とかもありますから、時間をいかに効率よく使うかということが日々の試練でした。
えっ、夏休み? ですか。ないです。年末年始も1週間宮崎の青島というところで恒例の合宿があり、正月すら家に帰れない。たぶん3年間で家に帰ったのは10回ないのじゃないかな」

高校3年間を陸上に没頭した荒木さんは、2年時に伸び悩み、結局、個人種目、駅伝で全国大会のスタートに立つことは叶わなかった。

「3年時は(全国高校駅伝)県予選2位。7人合計で26秒差で九州学院に負けました。一人4秒ですが、駅伝は互いに補い合うチームなのでこの差が大きい。最後の夢は叶いませんでした。ただこの3年間で礼儀とか、チームワークとか、根気とか、いろいろ学びました。厳しかったけど人間として大きく成長できたと思います」

金栗さんが偉大なランナーであったことは少年時代から知らされていた。子供のころから長距離を始めた荒木さんがどうしてもチャレンジしたいことがあった。それは箱根駅伝。あの金栗さんが創設に携わった大会だ。

「山梨学院大学にお世話になることになりました。スポーツ推薦で全国から集まった選手は、中長だけで130名くらい。上田監督の指導は全国でも定評があり、大学駅伝を志した者にとり山学は憧れのチームでしたが、同時に競争も大変でした。モグスが2年下にいて抜きんでていましたが、僕らはまあどんぐりの背比べ、といった感じでした。監督も情のある方で、同じ力ならできるだけ4年生を出すという方針だったので、アピールしないとチャンスを失ってしまう。でも、高校時代、楢木野先生(陸上部監督)に鍛えられてきたので、焦ることはなかったですね。高校までは言われたことをこなすだけでしたが、大学時代は自分の走りを冷静に見つめることができる時期でした。スピードが足りないことは分かっていたので、自分でメニューを組み立てて日々の練習に取り入れたりしました。だいぶ大人になりましたね(笑)」

その甲斐あってか、荒木さんは大学4年間で大学3大駅伝をチーム代表として走った。2年時の全日本では区間5位と好走、大学4年(2007年)で念願が叶った箱根路は往路の4区を任せられ、区間12位だったが、達成感はそれまでのどんなレースよりも大きかった。

「もう時効なので話しちゃいますが、箱根の前夜は興奮と緊張で3時間しか眠れなかった。でも初めて箱根を走るランナーは皆、似たり寄ったりだと思います」

中学、高校時代は今一歩というところでチャンスを逃し、モヤモヤから脱しきれなかったが、中学から始めた陸上は大学で見事花開き、集大成を成し遂げたのだ。

マラソンに駅伝、トレイルラン、全てのランにチャレンジしていきたい

7月、甲府のアウトドアショップ『エルク』で親友の菊嶋さんとばったり
7月、甲府のアウトドアショップ『エルク』で親友の菊嶋さんとばったり

この春からそれまで5年間勤務した、富士山麓の滝ケ原から新宿の高層ビルに囲まれた繁華街に職場を映した荒木さん。生活環境は一変した。周辺には飲食店が軒を連ねて立ち並び、仕事が終わる時間になると、食欲をそそるいい香りが風に乗る。
東京・新宿の郵便局の勤めを終えると、まっすぐに高田馬場から私鉄に乗って自宅に帰る。生活サイクルを変えることなく、コンディションをキープするためだ。日々のトレーニングは自宅の周辺で、週一回木曜は代々木にある公共の400mトラック、織田グラウンドに出向いてランニングクラブのメンバーに混ざって1時間のトライアル走をする。
笑顔が爽やかなスポーツマンに、「仕事帰りには飲んだりするんでしょ? 」 と下世話な問いかけをした。

「新宿は誘惑の多い街ですね。辛いです(笑)。この4月から日本郵政で走らせていただいているので、まず自分のことより、チームに貢献してお声をかけていただいた、監督や会社にお返しすることが大切なので、外ではなるべく食べないようにしています」
どうやら食事などの栄養面の管理は奥様の担当らしい。

富士登山駅伝常勝軍団――
8月の富士登山駅伝。5区選手から襷をもらいいざスタート
8月の富士登山駅伝。5区選手から襷をもらいいざスタート

中・高・大学と10年間陸上に没頭し、大学駅伝と言う目標はある程度達成できた。しかし彼は走り続けた。彼の次なる目標は、実業団ランナーとしてより高いステージで走ること。5年間、静岡県の富士山麓、滝ヶ原陸上自衛隊に入隊した。

「体育のエキスパートを養成する自衛隊体育学校を目指しました。自衛官として給料をもらいながら学べます。ただ自衛官の中から選抜されるので、事前に入隊して半年の教育課程を終えてから体育学校を受験します。全国の高校・大学からエリートが集う事もあり、結局2次試験までで実技で落ちてしまいました。もちろん自衛隊の場合は各部隊に個人の運動能力を鍛錬できる施設や組織がありますので、いち陸上自衛官として頑張ろうと決めました。そして、滝ヶ原で陸上競技の経験者が集まる訓練隊の仲間と中部実業団駅伝や富士登山駅伝を目指しました。中部実業団駅伝では富士山麓の駐屯地合同チームとして、現在トレイルランナーとしてもトップを走る宮原さんや、菊嶋さんとチームを組み、2年前にニューイヤー駅伝出場にあと一歩のところまでいきました。一方、富士登山駅伝はチームは5連覇で、その内4連覇を経験させていただきました。5年間在籍中、2区、2区、1区、1区と走らせていただき(3年連続区間賞獲得)、仲間と優勝の美酒に酔いました。
チームとしての日々の練習内容も濃く、5000m(14分18秒)、10000m(29分39秒)のベストはいずれも高校大学ではなく、自衛隊に入ってから出しました」

5年目を滝ヶ原自衛隊で過ごした荒木さんは28歳を迎える前に退官を決意した。
「昨年の秋の初めてフルマラソン(河口湖マラソン=優勝)を走って感じたこと。滝ヶ原の仲間からトレイルランの話を聞いていて、自分でもいろいろ挑戦したみたくなった。それからチームではなくて、今度は個人として純粋にランニングを楽しみたいと思いました。
これまで勝負の世界にこだわり過ぎていたので、自分の中では少しゆっくりしたいなという思いが湧いてきました。そこで故郷熊本に帰って、向こうで仕事を探して市民ランナーとしてランニングを続けようと。16年目にしてランナーとしての自立です(笑)」

若きチームリーダー――
我らチーム、JP日本郵政グループ陸上部の仲間たち
我らチーム、JP日本郵政グループ陸上部の仲間たち

ところが退職の準備を進めていた頃、東京の実業団チームから誘いを受けた。そして、いま日本郵政の郵便局に勤めながら、再びチームのためにランナーとして走ることになった。

「熊本ではなく逆方向の東京に出てきてしまいました(笑)。五十嵐監督に熱心に誘っていただいて決断しました。日本郵政のラン二ングチームはできて3年の若いチームです。将来ニューイヤー駅伝出場を目指していますが、部員は20名ほどで、大学駅伝の経験者も数名しかいません。まだまだ発展途上のチームです。その中で、将来、自分がランナーとして目指すものを理解いただき、改めてスタートに立つ事にしました。チームを強化していく過程で企業チームとしてアピールし、強くしていく事でいい選手に入ってきてもらいたいし、自分としては若い選手のコーチングなど指導もあります。いろいろやりたいこともたくさんある中で、いまはすごく時間がないのですが、チームを強くしていく事を監督やマネージャーさんと考えています」

9月には昨年の河口湖マラソン優勝の副賞としてベルリンマラソンへ遠征する。そして来週は新潟県湯沢高原でトレイルマラソンに挑戦。

「トレイルの周回コースをチームで駅伝のように交代しながら制限時間に何周走れるかというレースで、これは面白そうだと。実はそのレースに一人で出ます。一人のクラスもあったのです。どこまで距離を伸ばせるか、楽しみです。
ベルリンですか? 2回目のフルマラソンなので、レース運びも何もあったものじゃないですが、自分の力を出し切って精一杯走ってきます」

何事もトライしてみなければ楽しさも困難も分からない。跳ね返されなければ熱くなれない。そう、やりたいことはいくつあってもいい。荒木さんはそれを見つけた。こんなスタイルのランナーが増えると、トレイルレース界もランニング界ももっと面白くなる。


インタビュー/2012年8月10日

荒木宏太さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

堅忍持久
一生懸命

トレラン以外でいま、熱中していることは

息子へのランニング指導

あなたにとっての師匠は?

金栗四三さん(地元の英雄)
楢木野亮二監督(鎮西高校監督)
上田誠仁監督(山梨学院大学監督)
太田康幸監督(滝ヶ原自衛隊監督)

ライバル・良き仲間はいますか?

宮原 徹さん(目標にしています)
良き仲間はJP日本郵政グループの選手達

自分はどんな人間だと思いますか?

褒められて伸びるタイプ。
自分で言うのもなんですが、明るく、親しみやすい性格だと思います。

レースにおいて常に心がけていることは何ですか?

一番はレースを楽しむ事。そして必ず完走する事(骨折と肉離れ以外)。

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