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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第38回 佐藤光子さん

第38回 佐藤光子さん

スマート&ボーイッシュにテンポのいいトーク。さらにスポーツは万能とくれば、男子生徒も一目置かざるを得ない。最近はクライミングとリバーカヤックにハマっているという。そう、ご存知昨年10月のハセツネCUPを男子エリートランナーも振り切る力強い走りで優勝した女性チャンプだ。決して簡単にタイトルを手にしたわけではない。目標を持つこと、諦めないこと。そして、家族。全ての成果の源はこの総合力に尽きる。

さとう・みつこ

1962年4月11日、奈良県奈良市出身。中学より本格的に陸上競技を始め、3年時に800m種目で全国大会に出場。高・大学時代は腰痛に悩まされて競技を一時中断。体育教師を目指し大阪教育大学に進学し、大学院で呼吸循環器系の研究に携わり自身も市民ランナーとして再生。91年ホノルルで初マラソン、97年から大阪国際女子マラソンに11回出場。ベストタイムは2時間47分53秒(2005年大阪国際/年齢別ランキング1位)。2009年、市民ランナーの模範として活躍するリーダーに送られる『第22回ランナーズ賞』受賞。06年よりトレーニングにトレイルランを取り入れ、翌年大阪府チャレンジ登山大会(通称ダイトレ)優勝、その年の第15回日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)で3位。第18回大会2位、昨年第20回大会で初の女子総合優勝を歴代2位のタイム(9時間25分49秒)で飾る。大学講師と並行し西日本各地でアシックスやポラールのランニング教室を展開中。

[愛用マテリアル]

●シューズ=アシックス
●バックパック=イノックス
●ウエア=アシックス
*2013年1月現在

0(ゼロ)から再スタートした集大成の激走

誰も予想していなかった速さ。女子歴代2位のタイムで2012年ハセツネ女子優勝を飾る【写真提供:オールスポーツコミュニティ】
誰も予想していなかった速さ。女子歴代2位のタイムで2012年ハセツネ女子優勝を飾る【写真提供:オールスポーツコミュニティ】

昨年10月7 日夜10時25分、東京都あきる野市五日市。第20回日本山岳耐久レースのゴール会場。ゴールエリアで待ち受けるサポーターや大会関係者の誰ひとりとして、そのタイムを予測していなかった。
男子のエリートランナーの証であるハセツネサブ10を大きくクリアし、9時間25分49秒のタイムでフィニッシュゲートに飛び込んできた佐藤さんは、喜びを全身で表すように一度ジャンプしてガッツポーズをした。毎年上位入賞を果たし、ついにハセツネ参戦6度目にして優勝。前回大会(11年)はベストなレースができなかっただけに喜びもひとしお。会心のレースだった。

竹藪を駆ける少女――
大学校舎の窓から眺める金剛山系ダイヤモンドトレイル。あそこが佐藤さんの修行の場
大学校舎の窓から眺める金剛山系ダイヤモンドトレイル。あそこが佐藤さんの修行の場

1970年3月、アジアで初めての日本万国博覧会が大阪府吹田市の千里丘陵で幕を開けた。千里丘陵は大阪の北部に位置する高台で、標高100m前後の丘陵には竹林や溜池がいくつも点在しのどかな里山の原風景を残していた。この国内最大級のビッグイベントを境に千里丘陵は大阪のベッドタウンとして急速に開発が進む。
このころ奈良から吹田市に住まいを移した佐藤さんは千里丘陵で育ち大人になった。ちなみにいまも大好きなこの町が彼女のホームタウン。

「当時、千里丘陵はまだあちこちに竹藪や池が残っていて、子供の頃から丘や森を駆けめぐっていました。自宅から学校へは私鉄3駅分、30分かけて走って通っていました。小学校ではドッジボール、陣取りゲーム。給食を急いで食べてお昼休みにはいつも男子と一緒になって動いていました」

いつも男子のように日焼けしていて、痩せっぽちなのに運動がすごくできる女の子。そして物おじせずに男子の輪の中に入ってくる。小学生の男子の中では一目置かれる女子のタイプ。佐藤さんはそんな少女だったに違いない。

11月下旬。大阪の四天王寺大学に佐藤光子さんを尋ねた。本日は体育実習の日で学生にテニスを指導。体育の先生はスポーツが何でもできるのだ。午前、午後と3コマ授業を持ち、お昼休みと4時に終了してから、本日予定しているクライミングの練習場に移動する道中を利用してのせわしない取材。佐藤先生は現在関西地区の4つの大学で講師を務めている。

面会するやいなや、「見せたいものがあります」と言われてついて行くと、そこは建物最上階に造られた体育館の2階観覧席。背後の窓のから遠くに見える連山は金剛山系。この山系の縦走路は地元でダイヤモンドトレイルと呼ばれている。
*【ダイヤモンドトレイル】大阪・奈良・和歌山の県境に連なる全長約50kmの自然歩道。葛城山、金剛山(標高1125m)、槇尾山(まきおさん)など地元ハイカーに人気の峰を経由するゴールデンコース。

「ここから眺める山並みが好きなんです。あの縦走路が私のトレーニングコース。ハセツネのコースにとても山が似ていて、隅から隅まで走りとおすと70kmのコースも設定できるんです」

歴代2位の優勝タイム――
インタビュー当日も授業を終えて大阪市内のクライミングジムへ急行。オーバーハングをガシガシ登る(PUMP大阪店にて)
インタビュー当日も授業を終えて大阪市内のクライミングジムへ急行。オーバーハングをガシガシ登る(PUMP大阪店にて)

それまで佐藤さんはハセツネに5度参加。これまで3位2回、2位1回という輝かしい成績を収めてきたが、昨年の19回大会、大ダワで初めてリタイアした。前回大会の成績上位20位までの選手は次年度招待選手となるが、一度リタイアしてしまうと0からのスタートを余儀なくされる。

「昨年途中でリタイアしたこともありまた振り出しに戻りました(笑)。6月1日のクリックでエントリーできる自信がなかったので、4月のハセツネ30Kに初めて出て完走し(女子優勝)、一週間後の清掃登山にも参加してポイントを貯めました」

だからハセツネに対する気持ちも変わった。

「普通は日の出山まで行くとゴールが近くなるから元気が出るはずなのに、私の場合はそこから下るのが辛くていやだった。今回の大会はそういった自分の弱い部分をひとつひとつクリアするために春からダイヤモンドトレイルでトレーニングを続けました。それと昨年からロードで長く走るトレーニングを久々に復活させました。マラソン競技をやめてから山に傾倒したトレーニングばかりやっていたのですが、やはりある程度の距離をしっかり走れる事、これができないとハセツネのような長いコースでは勝てないことが分かってきたのです。実は昨年から始めていたのですが、前回は大会一週間前に貧血になり、あえなく途中リタイア。今年は2年越しの成果を試す大会でした。
大会直前に関西フレンドの野村さんから応援のメールをもらいました。励みになりましたね」

野村泰子さんは、佐藤さんがハセツネ4回目の出場で2位まで昇った2010年の第18回大会で優勝し、初めてハセツネCUPを関西に持ち帰った兵庫のトップランナー。

「調子は悪くなかったから今回は言い訳はできなかった。第1関門、第2関門を設定時間よりも早く通過し、正直自分でもこのペースで大丈夫かなと思いました。御前山を登り大ダワを通過して大岳山。この時点で失速していないし、潰れるような感じもない。長尾平(第3関門)についてタイムを確認してビックリしました。10時間切りを確信しました。
このペースで走って、もし終盤で追い上げてくる人がいたら脱帽しようと。でも絶対に負けないと思って日の出山からダッシュしました。3年前に転倒して指を脱臼したことなど忘れていました。今年のハセツネは全ていい条件が重なったので優勝できたのだと思います。いつもは終盤、男子に抜かれていたのですが今年はだいぶ抜きました(笑)」

一見するととてもそう見えないのだが、実は佐藤さん昨年50歳を迎えた。50にしてハセツネ優勝どころか歴代2位のタイム(1位は08年に櫻井教美さんが記録した8時間54分07秒)。人間の運動能力のピークというものを改めて考えさせられるのである。これは後進のランナーは見習うべき部分が大いにある。見方を変えれば「歳をとったのでもう無理」と諦めるのは早いということだ。

マラソンの公開講座講師として生徒とともに学んだ日々

大阪国際女子マラソンでは2005年に自己ベスト2時間47分53秒を記録
大阪国際女子マラソンでは2005年に自己ベスト2時間47分53秒を記録

小学生時代、毎年冬に開催される校内マラソンでいつもイチバンだった。坂道の多い通学路を毎日往復1時間かけて通学していた賜なのか、両親から受け継いだDNAなのか定かではない。

「小学生の頃はミニバスケをやっていたので、中学生になり本当はバスケ部に入りたかったのですが、ワルが多そうで陸上にしました(笑)。そうしたら意外と適性があったようで800mで全国中学校大会に出場しました。その余勢をかって高校も陸上部に入部したのですが、いいことばかり続かないですね。1年目でぎっくり腰をやってしまってその後まったく走れず。悶々とした日々を過ごしました」

体育教師を目指し大阪教育大学に入学。腰の持病でまだ満足に走ることができなかった佐藤さんは、選手をサポートする側に回った。

「大教大はバスケが強くて、またバスケのユニホームが着たかったのですが、まだ無理が効かないので選手は諦めました。そこで全日本学生バスケット連盟の事務局に入り、インカレの運営や海外遠征のマネージャーなど、大会運営や選手のサポートの仕事を4年間やりました。だから運動部の裏方さんの気持ちが痛いほど解かります」

大学では運動生理学を学びカラダの仕組みが分かってきた。筋トレを地道に続けたことで、腰痛が少しずつ改善してきた。大学を修了し大学院で呼吸循環器系の研究を始めた。23歳。

「担当教授が陸上部の監督だった事もありランニングを再開する事になりました。心拍トレーニングを始めてその成果を計った。自らが研究の教材になったわけです。腰もほぼ完治し、まずは市民ランナーと朝練からスタート。近所のおばちゃんに負けるところから始まりました(笑)」

大阪国際マラソン11回出場――
マラソン解説者として放送席に座ることも(奈良マラソン2012にて)
マラソン解説者として放送席に座ることも(奈良マラソン2012にて)

佐藤さんの心肺持久力は天性のもの。高校時代から負荷の高い運動ができなかったのに、地域の大会で賞状をもらうようになった。走ることが面白くなった。結婚し家庭を持ち、体育教師の仕事の合間に趣味のロードレースに出場した。

「10km、ハーフと伸ばしていきましたがマラソンはまだまだ。29歳の時、あるハーフマラソンの大会で抽選でホノルルマラソンが当たっちゃった。そのころ大阪国際マラソンに出たくて20km走に挑戦していた頃でしたが、いきなりフルマラソンです。結果は3時間36分。初マラソンとしてはタイムはまずまずということで、ますますランニングにハマっていきました」

30歳。長男が生まれた。名前は嵐(らん)くん。ランニングの「らん」でもある。今人気のアイドルグループの先をいく。1年後から再び走りを再開。
マラソンにのめりこんだころ母校で公開講座のクラスを担当する事になった。

「マラソンを始めた頃、大教大でランニングの公開講座をやってみないかというお話しをいただいてやってみようということになりました。いわゆる地域の皆さんのためのカルチャースクールです。月1回の10回コース。以来20年続いていますが、卒業生がOBとしてお手伝いにきてくれます。
この公開講座が私の引き出しをふやしましたね。トレーニングのこと、ケアのこと、大会のこと、とにかくいろいろ尋ねられるのでこちらとしても勉強しなければならない。最初のうちは全部教えていたのですが、10教えてしまうのではなく7教えて、3は生徒さんに考えさせる。これが大切なのですね。悟りました」 

34歳、マラソンを始めて6年目、念願の大阪国際マラソンのスタートラインに立った。それから11年間ほぼ毎年参加(1年だけ怪我で出場できず)。最初のレースで3時間9分のタイムだった。9年目、42歳となった2005年大会で2時間47分53秒のパーソナルベストを出した。

「それまで9年間、少しずつタイムを上げて一度も落ちた事がなかったのですが、翌年初めてタイムが落ちちゃった。ちょっとショックでしたね。一方でその年の6月、100Kマラソンで8時間8分までタイムを伸ばしていました。その頃トレイルランに興味を持ち山にもトレーニングで走りに行ったりして、私の中で少しずつ指向が変化していった」

独身生活を謳歌――
3年前に買ったフリースタイルカヤック、ようやく乗りこなせるようになってきた(四国吉野川にて)
3年前に買ったフリースタイルカヤック、ようやく乗りこなせるようになってきた(四国吉野川にて)

44歳の春、大阪府チャレンジ登山大会(大阪山岳連盟が主催する地元最大のトレイルレース。通称『ダイトレ』)に準優勝。『これは面白い』とトレイルレースがデビューの矢先、バレーボールの授業中に右足のアキレス腱を断裂。実は32歳の時に左足のアキレス腱を切っていてこれで2度目。アスリートなら選手生命にも及ぶ大怪我だ。

「アキレス腱断裂なれしていたわけではないのですが(笑)、こんなことに負けていられないということで自転車を買いました。ギブスが取れたらクロスバイクで通勤。ブログでは『くよくよしない』なんて気丈にコメントしていましたけど、陰ではこっそり泣いていたんですよ(笑) 。3カ月後にはジョグを再開してバイク+ジョグで月間1300km走りました。今振り返れば2度のアキレス腱断裂は私を強くしたと思います」

1年でカムバック、翌年2007年ダイトレ優勝。その年秋に東京へ遠征。日本山岳耐久レースのデビュー戦でいきなり3位になった。以後6年、大阪女子の代表としてその後の活躍ぶりは関東のトレイルランナーの間でも周知されてきた。そして2012年10月、ハセツネCUPは再び関ヶ原を越えた(ちなみに男子の優勝杯は韓国の沁選手により1度玄界灘を渡っています)。

2009年、市民ランナーの模範として活躍するリーダーに送られる『第22回ランナーズ賞』受賞。その後も地元関西ではマラソン大会の解説者、アシックスのアドバイザーリースタッフと多方面で活躍中だ。

「50歳になって半世紀生きてきた事に感動を覚えました。今年は人生の節目の年ですが、いろいろいい事が重なってとてもいい年でした。ここ2、3年は更年期障害に悩まされていたのですが、それも抜けたみたいです(笑)」

取材中、嵐くんの話題になった。佐藤さんのいつものスマイルが一層輝いた。アスリートの佐藤さんのしか知らなかった我々が見た、母親としての優しい笑顔だ。離婚して仕事を続けながら子育てをしてきた。去年の春、嵐くんは目標にしていた東京の某六大学に現役合格した。

「息子はいま東京で一人暮らししています。でもこのまえのハセツネ30Kの時に、東京に出たばかりの息子のアパートに早速1週間居候させてもらったんですけど(笑)。私も今は独身、仕事の後、クライミングジムに通ったり、山仲間とアウトドアな週末を過ごしています。
ハセツネですか? 優勝すれば終わりと言うわけではないので目標レースであることは変わりません。でも別にチャレンジしてみたいな~って事も実は心に秘めている。ナイショです(笑)」

今は一人暮らしを謳歌しているといったけど、でもやっぱり母親は子供に毎日会いたいもの。そのことを考えないようにするために、佐藤さんは若いときのようにいろいろなスポーツにチャレンジを始めたのだと思う。と勝手な推測。
子供はいずれ羽ばたいて親の元を離れる時が来る。子育てを終えたのだから、親鳥だってまだまだ羽ばたきたいのだ。人間50歳なんてまだ折り返し地点。佐藤さんのバイタリティ溢れるライフスタイルそのものが若い人たちへのリアルメッセージ。そうだ、キミら30代でへこたれるなんてまだ青い。

インタビュー/2012年11月29日

佐藤光子さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

「カラダだけは丈夫なので今日も笑っていよう!」
声優を目指す息子の影響でアニソンを聴いてたら、この一節に胸打たれてしまった。
※「銀魂」オープニングテーマ「遠い匂い」by YO-KING (2007)

トレラン以外でいま、熱中していることは

リバーカヤック 四国吉野川・大歩危峡の激流に挑戦中
フリークライミング あまり外岩に行く機会はないけど、ジムで11Aに挑戦中

あなたにとっての師匠は?

役小角(えんのおづぬ)
飛鳥~奈良時代、修験道の祖。箕面、葛城、大峰…知らぬ間にその足跡に導かれて走っている。

ライバル・良き仲間はいますか?

同世代のトレラン男子。覚悟っ!!

自分はどんな人間だと思いますか?

「最後に信じられるのは自分」と思っているところが強みでもあり弱みでもある

レースにおいて常に心がけていることは何ですか?

自ら潰れないこと。自分が潰れなければ、勝てる!

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