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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第39回 井原知一さん

第39回 井原知一さん

トレイルランニングのスタイルに独自のこだわりを持ち、そのメンタルの強さは半端じゃない。ヒゲで覆われた風貌は異国情緒たっぷりで一見怖そう。でも近づくと、彼の心温まるオーラに誰もが包まれてしまう。"ハート&ブレイン"。彼を表現するとまさにこんな言葉になる。この大らかで人間力豊かなトップランナーはいったいどうやって誕生したのだろうか。その秘密に迫る。

いはら・ともかず

1977年7月1日長野県長野市出身。6歳から5年間イギリスに暮らし人間形成の礎を築く。IT関連の会社を経由し、現在アメアスポーツPRECOR事業部に勤務。30歳のときにトレイルランニングに出会い、斑尾フォレストトレイルでデビュー(2008年)。翌年OSJトレイルレースシリーズ10戦全戦を制覇という偉業を成し遂げる。2010年信越五岳110K(8位)でウルトラトレイルに魅せられ、以後100マイルレース(160km)に照準を定める。2011年7月おんたけウルトラから始まり、今年1月ハワイ(オアフ)で開催されたHURT100まで1年半で7戦に出場し全戦完走。『Born to Run100』(2012年) 優勝、おんたけウルトラ100マイル(2012年)2位。国内最強と噂されるトレイルランニング・プライベートチーム『DMJ』05号、『トレラン王国』ナビゲーターとしても活躍中。

[愛用マテリアル]

●シューズ/Salomon、HOKA
●バックパック/Salomon
●ウエア/Salomon
*2013年2月現在

体中の細胞がトレイルを欲しがっていた

1月にオアフで開催された『HURT100』。ハワイらしい野趣あふれるコース(ペーサーの礒村氏のベストショット!)
1月にオアフで開催された『HURT100』。ハワイらしい野趣あふれるコース(ペーサーの礒村氏のベストショット!)

1月にハワイ・オアフ島で『HURT100』開催された。北米からエリートランナーが集結する100マイルのトレイルレースで井原さんは6位でフィニッシュした。このレースには後半ペーサーの参加が許されていて、友人で昨年のUTMF(ウルトラトレイルMt.FUJIで9位に入賞した礒村真介さんが、後半の辛い場面で井原さんを励まし引っ張った。このペーサーというシステム、100マイルクラスのレース独特のものだが、この壮大なレースにチャレンジしている友人をサポートしたいという思いを叶えたルールで、記録(順位)よりも完走することこそ最大の目標という100マイラーの精神が解かる。

2011年から100マイルレースに絞って参戦を続け、この2年で7戦に出場。しかもリザルトはすべて一桁順位という非公式記録を更新中だ。全てのレースにコンディションをベストに持っていくのはトップランナーであっても難しい。だから気力だけで走り抜き常に上位をキープし続けるのは並大抵のことではない。それよりも偉大なのは、彼はこれまでレースを一度もリタイアしたことがない。

「自分と戦うことが面白くてレースに出ているので、リタイアは即刻、負けということです。だから絶対にリタイアはしたくない。これからも出場する以上、這いつくばってでもゴールを目指します」
この根性はいったいどうやって彼に宿ったのだろう。

タフないじめられっ子――
Chimera100のディレクター、スティーブと。北米のfunな雰囲気満載の楽しくて厳しいレース
Chimera100のディレクター、スティーブと。北米のfunな雰囲気満載の楽しくて厳しいレース

長野市で生まれた井原さんは周囲を山に囲まれた信州で幼少時代を過ごした。「予防接種の注射がいやで、幼稚園から脱走して家に帰って来た弱虫」という彼が人生の転機を迎えたのは、父親の転勤によりイギリスで暮らす事による。

「スコットランドのハーディントンという地方都市に6歳の時に家族とともに移り住みました。日本人はまず見かけない町で、僕は地元の小学校に通いましたが、クラスの子たちは生まれて初めて日本人を見たようで、東洋からやってきた僕を宇宙人の様に思ったのでしょうね。最初は近づくと周りの子たちに「キャーキャー」言われて逃げられて、毎日追っかけっこです。そうすることで皆に近づこうと子供ながらに思っていたと思います。昼休みは向こうの子供たちは必ずサッカーをやるのですが、僕はいつも一人ぼっちだった。でも英語もよく解からなかったので、いじめられて悪口を言われても大して気にならなかった。
そんな僕を母親は心配していたみたいで、その後何年もして、あの時、日本人学校ではなく地元の学校にあえて僕を入れた事を詫びていましたけど、そのお陰でいまの自分があるのではないかと思って感謝しています」

半年して、井原少年はクラスの中心にいた。どうやら体育の授業である特長を発揮したことが原因らしい。

「英語がしゃべれるようになり周りの子供たちとコミュニケートできるようになり、もういじめはなくなりました。もっと大きな理由はたぶん足が速かった事。僕のオヤジは学生時代陸上の短距離選手、母もフィールドで砲丸投げとかやっていた人(笑)。そのお陰なのかクラスの男子から一目置かれるようになったみたいです。習い事として空手の道場で型を学んでいましたが、よく友達に『教えろよ』って言われた。じつは皆とても人なつっこくて、素直な子たちだった」

6歳から11歳まで、いわゆるゴールデンエイジの世代を彼は日本人のハートをもつイギリスの少年として成長した。

「11歳の時に父の勤務も終わり再び長野へ戻りました。家の場所も変わってまったく初めての小学校に転向することに。朝、教室に入ると僕の机だけ、他の子たちの机よりも間隔が大きく離れているんです。またいじめです。『イギリス菌』とか呼ばれて毛嫌いされた。完全無視です。もう慣れっこです(笑)。でも一ヶ月くらいですっかりクラスに溶け込んでました」

今度のコミニュケーションツールはサッカーボールだった。イギリスで毎日サッカーしていた彼はサッカー少年団ですぐに頭角を現した。中学に上がるときには地元の有力クラブからも勧誘を受けた。

高校卒業後、アメリカ・ワシントン州シアトルにある2年制公立大学『Edmonds Community College』に留学。得意な英語を磨くため、再び海外に飛び出した。

「学校は試験に通らないと卒業できないので最低限のことをしていましたが、中古のコルベットのオープンを買って、週末はいつもカリフォルニアやカナダへ友達とドライブしてました。とくにスポーツもせず夜遊系でした。ちなみに当時からヒゲを生やし、髪の毛は肩までのロンゲでした。人生でもっともチャラチャラしていた時期でした」

97㎏からの生還――
アメリカの100マイルレースの完走賞はベルトのバックルやプレート。お国柄でてます
アメリカの100マイルレースの完走賞はベルトのバックルやプレート。お国柄でてます

青春の一片をイギリスとアメリカで過ごした井原さんは東京に出てIT関連の企業に就職。英語力を生かして仕事に邁進した。29歳の時に現在務めているアメアスポーツジャパンPRECOR事業部に転職した。『PRECOR』はシアトルに本社を置くフィットネス機器メーカー。日本を始め、アジア・パシフィック地区のテクニカルマネージャーとして、サービスの先頭に立って仕事をこなしている。月のうち約1/3は海外での仕事だ。
入社して間もない頃、再び人生の転機とも言うべき、ある出来事を体験する。それはダイエット。

「20代後半の頃から仕事に忙殺されてストレスのため、毎晩暴飲暴食を重ねてしまい、気がついたら体重が97kgまで増えていた。いまの会社に入社してフィットネス機器を扱う事になったわけですが、ちょうど1年後にビッグサイトで展示会が開かれるというタイミングだったのです。展示会場で我が社のマシンの効果を顧客に伝えるためには、実体験がイチバンということで会社のメンバーにも後押しされて、自社のトレッドミルマシンで、仕事が終わった後毎日5km走る事になったのです。
業務絡みということもあり、最初はいっぱいいっぱいだったのですが、少しずつ効果が現れだし、1kg、2kgと体重が落ちて行くのが分かり、3ヵ月で7kgも体重が落ちました。そうこうしているうちに、朝、顔を洗うのと同じように毎日走らないと気持ち悪くなって、展示会が終わった後もランニングを続けるようになりました」

また新たな目標を探していたある日、会社で扱っているスポーツウォッチが協賛している『斑尾フォレスト』というトレイルレースのポスターを社内で見つけた井原さん。それはまさに生涯の伴侶との出会い。

「コレだ!! と思いました。社内にトレイルランをやっているというスタッフがいて、彼が『それなら一度トレーニングに行きましょう!!』ということで、陣馬山(東京・神奈川の県境にある観光名山)に連れて行ってもらった。その時、稲妻が走りました。こんなに楽しい事がこの世界にあったのかと。体中の細胞がトレイルを欲しがっていた(笑)」

速いヤツが強いのではなく、強いヤツが強い

本職はフィットネス機器の販売とサービス。シドニーのトレードショーにて
本職はフィットネス機器の販売とサービス。シドニーのトレードショーにて

走り始めて半年後に斑尾フォレストで初レースを体験した井原さんは、翌年(2009年)、とんでもない暴挙に出た。それは2月の奄美大島に始まり、9月のクロスマウンテンマラソン・イン・王滝まで1年間に渡り開催される『OSJトレイルレース・シリーズ』の全戦にエントリーという途方もないチャレンジ。そして、いちレースもリタイアすることなく10戦すべてを一戦もリタイアすることなく走り抜いた。

「誰もそんなことできると思っていなかったと思います。でも自分としては絶対にやってやると思っていた。ひとつひとつ完走していくごとに周りのスタッフも応援してくれるようになって、会社や職場の仲間にずいぶん迷惑を掛けしましたが、寛大に見守ってくれました。とても感謝しています」

『ツールド・トモ』――
昨年のおんたけウルトラトレイルでは憧れの鏑木選手に次いで2位でフィニッシュ
昨年のおんたけウルトラトレイルでは憧れの鏑木選手に次いで2位でフィニッシュ

2010年9月、信越五岳110Kで8位という上位で完走。このレースである実感を得た。信越五岳は当時の国内最長レースで日本全国からエンデュランスを得意とするトレイルランナーが集まっていた。

「この成績は自分でも驚きだったのですが、僕でも戦える舞台があるんだと思いました。それはウルトラクラスの長距離レースです。このレースでは後半先行していた選手がどんどん落ちてきて、『長距離レースは速いヤツが強いのではなく、強いヤツが強い』ということを悟りました。僕は陸上部出身のエリートランナーではなく一般人です。でもこれまでの人生で培ってきたメンタルには自信がある。だから我慢強さで勝負しようと」

2011年5月、日本で初めての100マイルレース『UTMF』が富士山麓で開催されることになった。大勢のトレイルランナーがその日を待ち望んでいたが、3月11日、東日本大震災勃発。レースは中止された。

7月、長野の王滝村で100マイルクラスが開催されることになった。井原さんは躊躇なくエントリー。

「160kmという距離のイメージがつかなかったので、それならば一度走ってみようということで自分でコースを設定してみました。多摩川下流の六郷から上流へ向けて走り、青梅の高水山まで行くとちょうど80km、それを往復すれば100マイルということで、友人3人で試みました。途中二人はリタイアしてしまいましたが、どうにか25時間かけて走り抜きました。その結果『ツールド・トモ』とかってにコース名を付けさせてもらってます。走れるロードが長くとても辛いコースなのですが、名付けた以上、年に一時は走らないといけないと思っています(笑)」

7月のおんたけウルトラトレイルで4位入賞、100マイルレースへの熱い思いは抑えられなくなり第2の故郷アメリカへ舞台を移す。

自分へのご褒美――
小サイト『トレラン王国』のナビのお手伝いもしていただいております。昨年9月のハセツネサブ10試走会より
小サイト『トレラン王国』のナビのお手伝いもしていただいております。昨年9月のハセツネサブ10試走会より

アメリカはトレイルランニング発祥の地。それこそ大小あわせれば全米で年間1000以上のレースが行われているのではないかと言われている。耐久レースも人気がありマイルで距離を表示するアメリカで長距離レースといえば100マイルを差す。

「仕事でシアトルに頻繁に行く事も幸いしていますが、西海岸のレースの情報はもちろん環境もよくわかっているので、自分にとってはホームグラウンドです。
アメリカのレースはとてもアットホームな雰囲気が漂っていて、ストイックな一部のランナーを除けば、皆和気藹々、ジョークを飛ばしながら走ります。エイドでもスタッフがパイレーツカリビアンよろしく全員海賊のコスチュームで待っていて選手を驚かしたり、とにかく楽しい。応援に家族や友人も沢山やって来ますから、おそらく選手より沿道の観衆の方が多いのではないかと思います。あとレースの完走賞はバックルです。賞状とかはありません。成績によってブロンズ色のバックルがシルバーになる。入賞者にはベルトがついてきたり、アメリカ人らしい遊び心ですね」

アメリカのレースは全米トップが集結する最高峰のレース、『ウエスタンステーツ・エンデュランス100マイル』を頂点に各州や地域を代表する地域レースまで裾野が広がっており、参加者は100~200名規模のものが多い。まだまだ日本人の参加者は少ないが、各大会のウェブサイトは充実しており、HPから直接エントリーできる。この北米へは石川弘樹氏や鈴木博子氏が先陣を切っているが、最近はフランスの『UTMB』に注目が移ってしまった。井原氏によりまた再びアメリカのレースがトレイルランナーの間で話題に挙がるようになってほしい。
ちなみにこれまで井原さんが出場した100マイルレースと成績は以下のとおり。

■2011年
7月 おんたけウルトラトレイル(長野) 4位
11月 Chimera(USA/CA) 3位
■2012年
2月 Rocky road(USA/CA) 4位
5月 Born to run(USA/CA) 1位
7月 おんたけウルトラトレイル(長野) 2位
11月 Chimera(USA/CA) 5位
■2013年
1月 HURT100(USA/HI)    6位

昨年5月、カリフォルニアで開催された『Born to run』で日本人として初めて優勝しアメリカのトレイルランナーたちを驚かせた。7月、2度目の『おんたけウルトラトレイル』では鏑木毅氏に次いで2位。日本を代表する100マイルのトップランナーとして力を証明してみせた。次なるレースは、3月ユタ州で開催される『Antelope Island Buffalo Run 100』(アンテロープ・アイランド・バッファロー・ラン100)。大会名を聞くだけで走ってみたくなる。

そんな100マイラーの井原さんにこれから100マイルレースを目指すトレイルランナーに完走するためのアドバイスを聞いてみた。

「100マイルくらい長距離になると、途中で必ず浮き沈みがあります。これはトップランナーにもやってきます。沈みの部分で諦めてしまえばリタイアということになりますが、そこを切り抜ければ必ず浮き上がるものです。エイドに行けばサポーターの笑顔に会える。だから最後まで自分の力を信じて、諦めないで。
例えば、よく話題に出るのが80マイルいうハードル。なぜなら後まだフルマラソンと同じ距離が残っていると考えてしまいがちだから。でもそんなこと気にせず、とりあえず目先の5kmや10km先を目指すこと。そうすると残りは30kmになり、自然と気持ちが蘇る。
僕の場合は100マイル先はなるべく見ないようにして、1マイル、1マイルをステップ・バイ・ステップしていこうと常に思っています。あと残り何kmと考えない方が気持ちが楽です。『10マイルでおやつ、20マイル走ったらウォークマンで音楽聴けるよ』と自分へのご褒美を用意して走るんです」

近い将来、何か目標とするビッグレースが待ち構えているのでしょうか?

「もちろんウエスタンステーツ、UTMB、UTMFにもチャレンジしたいと思っています。とにかくいろいろなレースを走ってみたい。それがトレイルランの喜びなので。全ては仕事次第ですね。ただ、常に心がけていることは、いつどんなレースでも走れるよう普段から地道なトレーニングを積み重ね、スタンバイしておくことです。目標は70のお祖父ちゃんになっても100マイルを走り続けている事です。その際のペーサーは娘にやってほしいですね(笑)」

井原さんならば実現するに違いない。


インタビュー=2013年2月11日

井原知一さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

夢は叶えるもの!
努力は最高!

トレラン以外でいま、熱中していることは

・仕事(年に10回以上は海外に出張に行きます。多忙なスケジュールだからこそ、100マイラーのタフさが生かされています)
・娘さくらと遊ぶこと(走る時間も大事だけど、それ以上に娘との時間は特別)

あなたにとっての師匠は?

父。
師匠ではなく憧れであれば鏑木毅さん

ライバル・良き仲間はいますか?

ライバル:キリアン(ウソです。すみません)。常に弱音をはく自分
良き仲間:DMJと大人の溜まり場―!のファミリー

自分はどんな人間だと思いますか?

一つのことしか集中できないやつ。
頑固なやつ。
負けず嫌いなやつ

レースにおいて常に心がけていることは何ですか?

自分との戦いに集中すること。
素敵なゴールシーンを思い描きながら走ること

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