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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第40回 倉田文裕さん

第40回 倉田文裕さん

アドベンチャーレース界の日本代表チームとも言える『イーストウィンド』のメンバーとして活動し、数々の国際大会で活躍を収めてきた倉田さんは、昨年からトレイルランナーとして本格的に走り始めた。いま、群馬、新潟、長野の3県をまたぐ全長280kmに及ぶ壮大なロングトレイルの開拓に情熱を注ぐ倉田さん。それは自分を育ててくれた第2の故郷への恩返しでもある。

くらた・ふみひろ

1981年5月11日横浜市出身。幼少時に長野県松本市に移り住み高校3年までを過ごす。ファッションビジネス界での活躍を目指し上京、その後イタリアへ留学。27歳時、アドベンチャーレースの第一人者・田中正人氏に師事しチームイーストウィンドに参加、群馬県水上を拠点にアドベンチャーレーサーとして第一歩を踏み出す。2011年秋、タスマニア(オーストラリア)で開催された『XPD』(世界選手権)に一員として参戦し80チーム参戦中20位、3度目の挑戦となった2012年2月の『パタゴニア・エクスペディション』(チリ)では国際大会での日本チーム最高位となる2位を獲得。2012年春よりトレイルレースに本格参戦し、第1回奥武蔵もろやまトレイルラン総合3位、第1回両神トレイルラン優勝、美ヶ原トレイルラン2位、ハセツネCUP18位(8時間34分)、裏磐梯山岳耐久レース優勝など、ただいま躍進中。

[愛用マテリアル]

●シューズ/Teva
●パック/GREGORY
●ウエア/2XU
*2013年5月現在

スポーツで学んだモチベーションを社会で発揮。これぞ男道

今回の主人公は元アドベンチャーレーサー。丘だけじゃない海も川も相手にする倉田文裕さん
今回の主人公は元アドベンチャーレーサー。丘だけじゃない海も川も相手にする倉田文裕さん

プロサッカー選手に憧れ小学生の頃からクラブチームでサッカーを始め、高校では硬式テニスに情熱を注ぎインターハイにまで出場。そんな際立つ素地を持つ青年が、将来の道筋として選んだのはファッション業界。そして本場イタリアに渡り被服の勉強へ。もちろんそれまでの過程で挫折が無かったわけではない。でも30数年の人生(まだまだ続きますが)は常に前向きで、普通の青年ではとても思いつかないような希望やエネルギーに満ち溢れている。なにしろその次に青年が目指したのは、アドベンチャーレースの世界の頂点という壮大なチャレンジなのである。
今回の『トップランナー』はトレイルランのトップランナーでありながら、海・山・川を舞台にアウトドアスポーツのマルチな才能を発揮する異色の逸材だ。まだ、32歳と若い倉田文裕さんの足跡を振り返ろう。

松本のスポーツ少年――
平成5年の長野県大会。Jリーガーに憧れてボールを追っかけいてた頃
平成5年の長野県大会。Jリーガーに憧れてボールを追っかけいてた頃

1980年代以降に生まれた男の子の憧れの職業はサッカー選手。この年代からその人気は急上昇する。92年にJリーグが発足し、野球と並んで男子2大人気スポーツになった。この頃小学生世代の少年たちはJリーガーに憧れ、サッカーに熱中した。92年はちょうど倉田さんが小学校5年生の時。

「小2から地域のサッカー少年団に入り、中学まで8年間サッカーをやりました。明けても暮れてもサッカーでした。朝、授業が始まる前に校庭に集まりサッカー、お昼休みもサッカー、放課後もサッカー。僕らの学年はチームメイトに恵まれ、5年生の時、長野県大会3位、6年のときに準優勝。その試合に勝てば毎年東京の読売ランドで開催される全国少年サッカー大会へ進める長野県大会決勝戦で0―2で敗れました。僕はキャプテンで3トップのセンターフォワードをやっていましたが、1点も取ることができませんでした。あのときの責任の大きさは今でも忘れません」

負けず嫌いで、決して涙を見せたことが無かった倉田少年は初めて仲間の前で涙した。
中学もその才能を買われて地元クラブチームのジュニアユースに籍を置き活動。3年時につかんだ北信越大会出場のレギュラーは受験のため後輩に譲った。サッカーをここまで頑張ってきたこと、やり残したことのない充実感に満ち溢れていた。

高校は地元の名門・松商学園に入学。一般受験で進学クラスに入学したのだが、倉田さんのスポ根ストーリーはここで大きく舵を切ることになる。

「硬式テニス部に入りました(笑)。何か新しいトライをしてみたくて、部活見学に行きました。コートで和気藹々とやっているテニス部を見てコレだと。ところがそれは2軍の生徒たちで、実際入部したら凄い強豪チームでインターハイの常連だったのです。素振りからのスタートで明けても暮れても素振りと陸トレ。部活は厳しくて、結局3年時に残ったのがサッカー部出身の僕と、軟式テニスあがりと野球部出身の3人。たぶん松商テニス部史上最弱の学年だったではないかと思います(笑)。でもサッカーしか知らなかったので、個人スポーツのテニスは新鮮で、毎日が充実していました」

3年生の夏、平成11年いわて高校総体(インターハイ)の団体戦ダブルスのコートで倉田さんはプレーしていた。どんなスポーツもそうだが経験年数だけでは測れない。いかに集中して取り組むか。モチベーションこそが習熟度につながるのだ。

憧れのファッション業界――
イタリア語の専門学校の卒業式。いまよりちょっと太目でした
イタリア語の専門学校の卒業式。いまよりちょっと太目でした

ファッションのトレンドセッターが軒を連ねる東京・表参道。春うららかな街を教科書をショルダーバックにいっぱい詰めこんで通学する倉田さんの姿があった。この春、高校を卒業し、ファッションビジネスを学ぶために青山のファッションカレッジに入学したのだ。

「姉の影響だと思いますが、小さいころからファッションに興味があって、ファッション業界で販売員をやってみたくて東京にでました。横浜の日吉という町でアパートを借りましたが、この年になってようやく親のありがたみが分かりました。それまでの僕は何からにまで親任せでしたから、授業料を出してくれている両親にせめてものお返しじゃないのですが、2年間の専門学校は一度も休むことなく皆勤で通いました」

2年目の春、就職戦線がスタート。若者たちが新たなドアを開けようとしていた。

「当時憧れていたアパレルメーカーがありました。学校側からはいくつかの推薦先を紹介されていたのですが、そこに入れなければ他には入りたくないくらい憧れていた会社でした。残念ながら願いは叶いませんでした」

2001―04年当時は、若者の就職難が最も顕著で、大卒で4割以上の学生が就職先が見つからなかった時代。専門的な知識を学んで即戦力になる学生たちも大きなあおりを受けていた。(人事部の皆さん、へたな大卒よりこうゆう若者を採用してください)

「そこでもっともっと自分の能力を高めたいということでイタリアに行くことに決めました。実は中田英寿さんが単身イタリアに渡って成功し、たった1年足らずでイタリア語でインタビューに答えている姿をTVで見て、『なんてカッコいいんだろう』って憧れていました。単純です(笑)。アルバイトをしながら1年間イタリア語の専門学校に通い、翌年の6月にイタリアへ渡り、3ヵ月フィレンツェの語学学校で学んで9月からピストイアという田舎町の1年制の被服専門学校に入りました。
 今回はビジネス学ではなく服づくりの専門学校で、将来パタンナーやデザイナーを目指してゼロから学ぶ学生が集まっていました。周りは90%以上女の子で、「あなた服つくれるの?」って怪訝な顔をされましたけど、辞書を片手にコンテを書きました。でも日本での2年間よりも充実した1年でした。毎日、服づくりに熱中して、1年間ほとんどピストイアの町から出なかった。イタリア観光はしませんでした」

イタリアから帰国した倉田さんは松本に戻り、さらに服づくりの勉強を続けた。

「就職のためにはもっと腕を磨かなくてはいけないと思い、松本に戻って文化服装学院の通信教育を受けました。自宅でスカートやコートをミシンで縫うのですが、室内の作業なので集中するとどうしても疲れてしまい、リフレッシュのために走るようになりました。最初は近所の公園をぐるぐる回っていたのですが、そうこうしているうちに隣町の公園まで足を延ばすようになった。松本ですから途中にトレイルとかがあるんです。
当時、webでトレイルランというスポーツを知りました。石川弘樹さんがハセツネで2連覇していました。スポーツを求めていた自分の体が蘇ってきて、徐々に一日を走る時間に取られるようになってきたのです」

人生波乱万丈が楽しい。それは新たな目標に邁進すること

カッパCLUBでラフティングのガイド中。後方で舵を切るのが倉田さん
カッパCLUBでラフティングのガイド中。後方で舵を切るのが倉田さん

日本に戻ってきて3年半、26歳の春、倉田さんは上越線の上牧という駅に一人降り立った。中央線でいったん東京に出て、上越新幹線で高崎へ。在来線に乗り換えて群馬県水上町への長旅。

「周りの景色を見て正直えらいとこに来たなと思いました。実家も田舎なんですが、みなかみの田舎っぷりはパンパじゃなかったですね」

前年の10月、東京奥多摩で開催されたハセツネCUP(日本山岳耐久レース)に出場した倉田さんは9時間56分24分でフィニッシュ。前年の初参加では14時間代で完走したこのレースでタイムを一気に4時間以上縮めたのだ。その訳は――。

「たまたま雑誌でアドベンチャーレースの団体『イーストウィンド』の記事を見まして、練習生を募集していました。『何これ?』と見ると、アドベンチャーレースの選手を育成するということでした。ただし条件があってハセツネを10時間以内で完走することでした。
面接で代表の田中正人さんと初めてお会いして言われたのが『貯金はありますか』ということでした。3ヵ月は無給で、競技に必要なMTBやその他の装備を揃えてくださいと言うことでした。
1年目はトレーニングの厳しさや生活苦でやめる人が続出しましたが、先輩の田中陽希くん(2年先輩だが年は2歳下)に励まされ、面倒をみてもらいました」

パタゴニアン・エクスペディションレース――
2012年パタゴニアン・エクスペディションレースで2位獲得。氷河の河畔でチームの仲間と
2012年パタゴニアン・エクスペディションレースで2位獲得。氷河の河畔でチームの仲間と

イーストウィンドの練習生は研修期間を終えると地元水上でラフティングやキャニオニングのガイドサービスを運営している『カッパCLUB』に籍を置き、ガイド及びインストラクターとしてアウトドアスポーツの技術を学びながら給料をもらう。カッパCLUBの小橋社長は田中氏と旧知の仲で、イーストウィンドの練習生を受け入れていた。ちなみにトレイルラン界のパイオニアの一人もある横山峰弘氏もカッパCLUBに籍を置いていた。

「昨年まで4年間カッパCLUBのスタッフとして働きました。まずスタートはラフティングのトレーニングですが、僕、実は水泳が得意じゃなくてライフジャケットをつけていないと泳げないんです。春の利根川は水量が多く、しかも雪解け水で物凄く冷たい。それまで運動には自信があったのですが、自然を相手にするスポーツの難しさを痛いほど知らされました。先輩に迷惑をかけっぱなしで自分の無力さを痛感しました。
自分はラフティングのイントラになるために水上に来たわけではない。アドベンチャーレーサーになるために『イーストウィンド』に入ったんだという思いが唯一のモチベーションでしたが、気が付いたらいつのまにかカッパCLUBの人間になっていました(笑)。それ以来カッパCLUBには大変お世話になっています。後から知った事なのですが、カッパCLUBはラフティング業界ではつとに有名で、地方に行くと『カッパCLUBのスタッフさんですか?』と注目される。だからスタッフは常に全力です」

2010年2月、南米チリで開催される『パタゴニアン・エクスペディションレース』にチーム・イーストウィンドが初参戦することが決まった。『パタゴニアン・エクスペディション』は2004年から開催され今年で11回(2006年のみ夏冬2回開催)を数える国際大会。男性3名、女性1名でオリエンテーリング、MTB、シーカヤック、トレッキングをこなしながら9日間ノンストップで600kmに及ぶパタゴニアの荒涼とした大地を地図とコンパスをたよりに進むレースで、世界からトップチームが参加する。そのメンバーに倉田さんは加わった。チームメンバーは田中正人、田中陽希、倉田文裕、中澤綾子。

「アドベンチャーレースの世界の流れが冒険からスポーツへ形を変えつつある中で、いまだ冒険的な要素を多く残すパタゴニアのレースは我々の大きな目標でした。2010年から3年連続でメンバーとして参加しました。
1年目はまず完走を目指しました。開催月の2月は南半球では夏なのですが、南極に近いこともあり常に風が強烈で驚かされました。場所的は0度以下になります。それとトゥルバと呼ばれるコケの塊がいたるところにあるのですが、湿地帯の上に形成されていて、うっかり踏み抜いて沼につかるということも初めは度々でした。シューズは常にびしょびしょで、足がふやけてマメができ、皮がむけて激痛の中で進みました。目標どおり7位で完走することができましたが足のケア、防寒対策の大切さを学びました」

「2年目は女性メンバーが和木香織利さんに代わり、NHKの取材が入ることになりました。ご覧になった方も多いと思いますが、2011年の大会は天候が不順で1年目よりもさらに寒くて厳しいレースになりました。ワッキーさん(和木さんの愛称)が怪我をして、皆でフォローすることになり、男子が彼女の荷物も担いで進みました。結果は5位。カッパCLUBで養われた精神力が生かされた大会だと思います。よく尋ねられるのがメンバー同士で言い争うシーンがTVで写りましたが、そんなことは日常茶飯事で、喧嘩しているわけではないのです(笑)。地図を持っている者が前で引っ張り、最後尾がアドバイスしながら進みますが、ルートを間違えると命取りになるので意見交換は躊躇しないというのがアドべンチャーレースでは当たり前なのです」

「3年目は3位以内を目標に参戦。その前年11月のタスマニアのレースで20位に入りましたが、後半トレッキングとMTBでプッシュできて手応えがあったので、そのイメージを大切にしながらパタゴニアに臨みました。睡眠時間を1日3時間まとめて取って残り21時間しっかり行動しようと決めました。前年までは小刻みに休息をとり睡眠に充てましたが、それでは十分に回復しないことが分かったのです。体調管理が整って前へ前へという意識が高いレースでした。最後のセクションでカヤックがキャンセルになりその時点の順位2位が決定しましたが、上位2チームでフィニッシュへ戻りゲートをくぐったときの感動は今でも忘れません」

この2012年大会でパタゴニア入りした際、倉田さんはアドベンチャーレースをこの大会を最後に引退したい旨を田中正人さんに伝えていた。

倉田さん参戦4大会のリザルト
■パタゴニア・エクスペディションレース
2010年大会、7位/参加16チーム
2011年大会、5位/参加15チーム
2012年大会、2位/参加19チーム
■XPD(世界選手権/オーストラリア・タスマニア)
2011年、20位/参加80チーム

雪国観光圏――
トレイルランに専念して出場した昨年2012年のハセツネ。今年の目標、まずは8時間30分切り
トレイルランに専念して出場した昨年2012年のハセツネ。今年の目標、まずは8時間30分切り

ところで、倉田さんのトレイルランナーのキャリアはどうかと言うと、実はこれまでハセツネに、みなかみ時代の2年前、2006年大会から6回参戦しているのだ(11年はタスマニアのレースに参戦のため出場できず)。最初の2006年は14:22:53で314位だったが、2年目にサブ10を達成したことは前述した。さらに感心するのは、その後も毎年タイムアップを続け、昨年2012年第20回大会は8:34:38(18位)を記録。今年は30分を切ることが当面の目標、といたって謙虚だが、トップランナーの実力は十分備わっている。
昨年は、『第1回奥武蔵もろやまトレイルラン』総合3位、『第1回両神トレイルラン』優勝、『美ヶ原トレイルラン』2位、と新顔ながらタフなレースで上位入賞を重ねてきた。

「ハセツネは国内のトップランナーが集結するので、自分の力を計るには最高のレースで、毎年楽しみにしているビッグイベントなんです。だから11年に参加できなかったときは本当に残念でした。夏はラフティングのガイドの仕事が忙しくて十分なトレーニングができなかったのですが、ハセツネだけはどうしても出たくて、毎年エントリーしてきました。アドベンチャーレースでも僕が得意としている種目はトレッキングで、山登りやトレイルランが好きなんです。そこで自分の個性をもっと生かしたいこともあり、昨年からトレイルランニングに専念することにしたのです。もうこれは前から自分の中で決めていました」

「えっ? トップランナーですか。この連載に出ていいものか分かりませんが、自分はトップランナーなんておこがましいです。僕はアスリートの領域に達していない凡人ですよ。自分にはまだまだ甘い部分が残っている。ただ、行く行くは100マイルにチャレンジしたいのでその前に70kmで結果を残したいと思っています」

トレイルランナーとして新たな目標を立てて再出発した倉田さんが、もうひとつ取り組んでいることがある。それは『雪国観光圏』のスノーカントリートレイル事業だ。冬場はウィンタースポーツが盛んな群馬・新潟・長野にまたがる7市町村(水上町・栄村・津南町・十日町市・魚沼市・南魚沼市・湯沢町)をラウンドする280kmに及ぶロングトレイルの調査・整備を行うコースディレクターとして活躍中なのだ(トップページ写真がそれ)。
北米の歴史あるシーニックトレイルやニュージーランドのミルフォードトラックなど世界にはロングトレイルがいくつもあるが、実は日本にも十勝トレイル(北海道)、高島トレイル(滋賀県)など魅力あるロングトレイルがあるにもかかわらずあまり知られていない。この壮大なスノーカントリートレイルが完成すれば、関東圏からも近いこともあり、多くのハイカーやトレイルランナー、観光客がグリーン~紅葉シーズンに訪れるであろう。しかもこのトレイル中継地は温泉に事欠かない。

「今はこのトレイルを毎日歩いています。8月3日はいよいよオープニングイベントが予定されていて、それまでに道標をつけようということで、いま一生懸命地域の方と進めているところです。一周すると全長280kmになりますが、いずれこのトレイルで100マイルレースができればいいなと思っています。みなかみは僕を育ててくれた第2の故郷なので、何か恩返しがしたいと思い始めましたが、ようやく形になってきました」

背後に白く輝く谷川岳連峰がまぶしい。
ピークハントが日本の登山の主流、トレイルレースも大きな目標になり達成感がある。しかしそのベースは魅力的なトレイルと美しい自然。そこに気付いてもらうために、倉田さんがまずはその道先案内をしてくれるだろう。

インタビュー=2013年5月23日

倉田文裕さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

Passo a passo (パッソ ア パッソ)
イタリア語で「一歩一歩」という意味です

トレラン以外でいま、熱中していることは

スノーカントリートレイル 8月3日のオープニングイベントに向け準備で大忙しです

あなたにとっての師匠は?

田中正人さん(プロアドベンチャーレーサー)
カッパCLUBの小橋研二社長はじめ先輩スタッフの皆さん

ライバル・良き仲間はいますか?

ライバル…昨日の自分と去年の自分
良き仲間…カッパCLUBのスタッフの皆さん

自分はどんな人間だと思いますか?

熱しにくく冷めにくい

レースにおいて常に心がけていることは何ですか?

飛ばし過ぎず、抑え過ぎず、全てを出し切ること

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