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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第45回 小野雅弘さん

第45回 小野雅弘さん

『巨大な旅』と名付けられたウルトラ級山岳レース「トル・デ・ジアン」。世界のトップランナーが参戦する同レースで5位に入賞した小野雅弘さん。クロスカントリースキーとトライアスロンで持久力を鍛えた後、一般社会人アスリートとして仕事と趣味にメリハリをつけて活躍するトレイルランナー。こつこつと積み重ねる努力はいずれ結実する。彼がまさに証明して見せた。

小野雅弘 (おの・まさひろ)

1981年4月12日群馬県水上町(現みなかみ町)出身。自然に囲まれた群馬県水上に生まれ、小中高とクロスカントリースキー一筋。大学でトライアスロンを始め、その延長でトレイルランと出会う。2012年のTJAR出場を契機にますます山の魅力にハマり、いつしか、志向は広大なアルプスを制覇する究極の山岳レースへ。今年9月にイタリア・アオスタ州で開催されたTDG(トル・デ・ジアン)で過去日本人最高位の総合5位(83時間)となる。過去の主な戦績は2012年UTMF(ウルトラトレイルMt.Fuji)総合14位(24時間30分)、2012年TJAR4位(6日5時間50分)、2013年TDG8位。肉体の限界に挑む超長距離レースに抜群の強さを発揮するロングツアラー。

[愛用マテリアル]

●シューズ/HOKA oneone
●パック/グレゴリー、ANSWER4、山と道
●ウエア/モンチュラ
*2014年11月現在

世界のトップが参戦するTDGで総合5位入賞の快挙

2014TDGスタート前。日本人選手と健闘を誓い合う(本人左から3人目)
2014TDGスタート前。日本人選手と健闘を誓い合う(本人左から3人目)

先日のハセツネCUPが終わって間もない平日の夜、スーツ姿で帰宅途中の小野さんに面会した。普段は横浜税関職員として川崎港近くの支所に勤める公務員。外見からは特に頑強な印象を受けないこの青年が、今年9月、イタリア・アオスタ州の山岳コースを舞台に開催されたTDG(トル・デ・ジアン)を3日(+11時間)で走破し総合5位を獲得したのだ。TDGは総距離330km、累積標高差2万4,000m、制限時間150時間(6日と6時間)という過酷な山岳レース。UTMBでも活躍しUTMFにも来日したイケル・カレラ(スペイン)、ジョー・グラント(USA)など、ワールドクラスのトレイルランナーを含む800名もの選手が参戦するヨーロッパ有数のウルトラ山岳レース。日本のトレイルランナーの間でも注目を集め、ここ2年は30名近いエントリーがある。ちなみにTJAR連覇を果たした望月将悟氏も11年から連続参戦している。

まずは今回のストーリーのスタートは今年のTDGから。

TDG入賞の証――
TDG初日。まだ調子のいい頃
TDG初日。まだ調子のいい頃

9月10日、大観衆が出迎えるイタリアのクールマイユールの街に日の丸を背負って日本人が凱旋した。アジア人としてTDG入賞(5位)は初の快挙だ。

「昨年初めて出場しTDGの魅力にハマりました(総合8位日本人最高位)。ロケーションは言うに及ばず、全コースの8割以上が山岳コースであること、山小屋に泊まりながらのレースでエイドも充実しているので走りに集中できるのがいい。自分の中でUTMB(2011年大会170km短縮開催で完走)はレース、TJARはジャーニー(旅)と受け止めています。日本のレースでは考えられない事ですが、TDGのエイドにはワインやビールも用意されていて、トップ選手も寝つけに飲む人もいる。それとチーズにハム(笑)、国内では体験できない2万4,000mという累積標高、全てがスーパーで、ゴールの達成感は言葉では言い表せないものがあります」

実は小野さん、8月にエントリーしていた第7回TJAR(トランスアルプスジャパンレース)の抽選で漏れて出場を逃していた。TDGとの間は約1ヶ月間しか離れていなかった。

「TJARは抽選の日も南ア・北岳にトレーニングに出かけていていましたが、下山してネットで確認したら落選していました。とても残念でしたが、せめて雰囲気を味わいたいという事で畑薙(静岡市)から荒川小屋まで登って、仲間の応援に出かけました。ただ、TDGのことを考えれば結果として良かったのかもしれない。正直、TJARの時期はまだ体が完全に出来ていなくて、あのまま出場していたら、2レースとも失敗していた可能性大です」

小野さんは前回の2012年TJARに初参加して4位で完走。2年に1度開催の大会のため、2年前から目標にして準備してきたという。落選したことで、TDGに掛ける思いは倍化したと言ってもいい。

「初日は全身脱水で、最初のライフベース(チェックポイントを兼ねる休息所)で158位でした。TDGは山小屋でベッドが提供されますが、寝れるのは2時間まで。2時間たつと係の人が起こしに来る。まとめて休息ができるのは山と山を繋ぐライフベースです。ビュッフェと隣接する体育館のようなスペースで選手は休息をとります。トップ選手であれば5分くらいで通過してしまうところ、僕の場合は、ここで1~2時間くらい仮眠をとりました。コース中6カ所設置されたライフベースはいずれも山麓にあり、おおよそ1500m下り、再び1500m上り返します。寝てばかりいては進まない、でも休まないとスピードが上がらない。コンディションの維持がこのレースの難しいところです。
2日目、3日目と復調し、最後のライフベース(ゴールのクールマイヨールまで40km地点)で9位に上がっていました。そこから100マイルレースのペースでスパートをかけ、まさかの5位に入ることができました。狙っていたわけではないのですがカウベルをもらうことが出来ました(TDGでは5位までの入賞者に記念のカウベルが授与される)」

この入賞記念のカウベル(放牧牛の首にぶら下げる鈴)。ヨーロッパの山岳ランナーの誰もが憧れるTDGマスターの証なのだという。それにしても欧米の名立たる強者を相手に、この細身の日本青年のどこにパワーが隠されているのだろう? その秘密は以下のキャリアで紐解くが、その前にヒントをひとつ。

「自分の強みはポールを使って登ること。長年やってきたクロスカントリースキーの経験が生きていると思います。走るのはダメですが、早歩き、特にポールを使って早歩きをするのは得意なんです」

めぐりめぐってウルトラ・トレイルランナー

2002年、大学3年の時に出場したXterra World Championship(マウイ)
2002年、大学3年の時に出場したXterra World Championship(マウイ)

持久系のスポーツを得意とする人には、文部両道の人が多い。これは筆者の持論だ。何故かと言えば、持久系は辛抱が肝心。何事も我慢強くないと続かない。地道に努力することで、諦めない、粘る力が自然と養われるのだ。

小野さんは群馬県水上町の酒屋の長男として生まれた。姉との2人兄弟。体育の成績は特別よくない。校内のマラソン大会でも輝く成績は残せないが上位には顔を出すそこそこの少年(本人談)だった。それでも小学校3年から地元スポーツ少年団でクロスカントリースキーを始めた。

「スキーは小さい時から裏山で滑っていたこともあり遊びの延長で始めました。アルペンスキーは瞬発系ですが、自分は持久系は得意だと勘違いしていたこともあり(笑)、クロスカントリースキーは向いているだろうと。中高もスキー部に。進学した渋川高校にはスキー部はありましたが、クロスカントリーの部員は自分一人だけで、夏はトラック走やローラースキーを使って一人練習していました。9年間クロカン漬けでしたね。真面目にやっていたのですが、県内でも常にもう一歩、全国大会は遠い存在でした」

控え目な彼のフォローをすれば、高校時代はインターハイ、国体に群馬代表として10km、15km、リレーに出場している。ただ、出場を果たすことで彼の青春の一幕は終わった。

横浜国大トライアスロン部――
2003年、大学4年の時に出場した佐渡国際トライアスロン(スイム3.8Km、バイク180.2Km、ラン42.2Km)年代別3位入賞
2003年、大学4年の時に出場した佐渡国際トライアスロン(スイム3.8Km、バイク180.2Km、ラン42.2Km)年代別3位入賞

大学は横浜国大経済学部に進学。将来は公務員を目指していた。いずれ家業を継ぐにせよ、故郷の役所に勤めるのが親孝行だと思っていた。親から仕送りをもらって送り出してもらっているからには4年間学業に専念する事。しかし新入生サークル紹介に出かけて・・・。

「トライアスロンサークルに入りました。体育会ではなく、好きな者が集まっている同好会です。皆カッコから入る連中で、自分も早速21万円のバイク(自転車)を買いましたが、半年で盗まれまた新調する羽目になりました。さらに入部当時、実は25mも泳げなかったので、大学の近くのジムのプールでバイトの帰り毎日23時から深夜1時まで泳いでいました。水泳の練習です(笑)。

サークルではオリンピックディスタンスと呼ばれるスイム1.5km、バイク40km、ラン10kmのカテゴリーを目標にしていました。当時得意なのはバイクでした。インカレ関東予選が茨城の黒磯高原でありましたが、6月でまだ水温が冷たくて、貯水池から上がってきたときはフラフラ。いまでもあの辛さを体が覚えています。保土ヶ谷で下宿から江の島までちょうどいい距離だったこともあり、バイクの練習という名目でよく授業をさぼって江の島へツーリングに出かけていましたね」

大学3年からはオフロード版のトライアスロン(エクステラ)も始め、ハワイのマウイ島で開催される『エクステラ・ワールドチャンピオンシップ』の日本代表としても出場。その後、ロングディスタンスのレースにも出るようになり、大学4年の時には『佐渡国際トライアスロン』では20代で3位の成績を出すまでキャリアを積んだ。

「日本代表と言っても費用は自分持ち。レベルは話にならない(笑)。出ただけです」
といつも謙虚な小野さんなのだ。

ハセツネからTJARへ――
2012TJARのスタート。4年間憧れていた至高の旅に出発(本人ビブナンバー2)
2012TJARのスタート。4年間憧れていた至高の旅に出発(本人ビブナンバー2)

22才、大学を卒業して故郷に帰るつもりだった。しかし目指していた群馬県庁の採用試験に落ちてしまった。一方、並行して受けていた税関職員には見事合格。横浜に残ることになった。しかしこの転機が、彼のその後の人生に再び変化を与えることになった。

「就職してからも続けていたトライアスロンのトレーニングとして、週に何日かは定期的に走り続けてきました。この頃は種目の中でランが最も得意種目になっていました。
ある時、職場で『日本山岳耐久レース』(ハセツネCUP)の話題が盛り上がり、それでは挑戦してみようということで、同期4人でエントリーしました。ハセツネもまだ、申し込みさえすれば簡単に出場できる時代でした。ショップで勧められるままにグレゴリーのリアクターとモントレイルのシューズを買って出場しました。2005年の冷たい雨の大会でした」

「結局仲間の3名はリタイア、自分だけ完走しました(10時間23分)。『これはおもしろい』と自分の中に新たな目標がひとつ加わりました。翌年も出場し8分タイムを縮めました(10時間15分)。翌々年は10時間切りを目標にしましたが、風邪をひいてあえなく途中リタイア。そして4年目にベストタイムとなる8時間42分でフィニッシュして18位になりました。以来ハセツネはライフワークとなり今年で10年連続出場していますが、半分はリタイアしています(笑)。その間、『ハコネ50K』『OSJシリーズ』など数多くのトレイルレースにも出場し、すっかりトレイルランナーになっていました」

トレイルレースに熱中していたころ、会場で知り合った友人からTJARの話を聞いた。日本海から太平洋まで、日本アルプスを縦走しながら415kmを走破する壮大なレースに心を揺さぶられた。

「TJARは2008年の大会から雑誌で見ていて存在は知っていました。ただ自分が出れるようなレベルのレースではないと思っていたので、当時は憧れだけ。なにしろ山はスキーで下るのが専門。トレイルレースでレースコースを走ることはあっても3000mクラスのアルプスの登山経験は皆無でした。2008年、2010年当時のTJARは現在のようにレスキューの体制が整っていない時代で、参加していた選手はアドベンチャーレースや山岳系の本当に凄い方ばかりでした。2010年大会に出た友人の石田賢生さん(2010年から3回連続出場)からいろいろ話を伺い、憧れは目標になりました。それからは真剣に山と向き合うようになりました」

2年間、山岳トレーニングに励み予選会を通過。初参戦したTJAR(2012年大会)で、小野さんは6日と5時間50分で静岡県大浜にたどり着いた。この年28名が参加し完走は18名。小野さんは4番目のタイムでゴールを果たした。こつこつとキャリアを積み重ねてきて備わった実力の証だと思う。
そして、やがて志向はウルトラクラスの山岳レースに広がり、UTMB、TDGへと参戦。昨年2013年のTDGでは8位でゴールを果たし、翌年そのリザルトを塗り替えて見せたのだから大したもの。ハセツネクラスの距離ではトップになれないが、300、400kmというとてつもないステージになると誰にも負けない、スペシャルな能力を備える選手が存在するのだ。おそらく彼の場合は、幼いころから続けてきた真冬のディスタンスとトライアスロンの経験が付加されているに違いない。

「目標は来年のトル・デ・ジアン、そして再来年のトランスジャパンです。トル・デ・ジアンは3年続けて出ると1年参加できない規定があるので、来年は狙って走ってみたい」

余談ながら小野さんの取材の中で、興味深い話を彼から聞いた。こちらを最後に。

「トル・デ・ジアンに参加する人を向こうでは『trailer(トレイラー)』と呼んで一般のハイカー(登山者)と区別しています。最近日本でもよく言われる『ファストパッカー』に当たるでしょうか。イタリアでは山小屋を利用したライト&ファーストな登山スタイルが流行っていて、夕方7時(夏のヨーロッパは日が長い)でも年配のハイカーが歩いていたりします。その自由な山の楽しみ方には日本との違いを感じます」

近代登山という登山ブームの幕開けから半世紀を経過して、日本の登山のスタイルや山岳スポーツへの概念にも少しずつ変化が生じてきた。一方、ヨーロッパでも同じような変化は生じていると思われるが、山岳スポーツの先進国であるヨーロッパアルプス周辺国との違いは、セルフレスキュー(自分の安全は自分で責任を持つ)の意識の差であり、その上に欧米人の個人主義ならではの登山スタイルがあるということ。いきなり真似ることは難しいが、その柔軟性と山への向き合い方は学ぶべきところが多い。

インタビュー=2014年10月15日
TOP頁写真提供:小関信平

小野雅弘さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

 「何とかなる」、「感謝」
大体のことは何とかなる!と思う。そして、自由に楽しいことができていることについて両親、仲間、自然に感謝!

トレラン以外でいま、熱中していることは

スノーボード、スキー

あなたにとっての師匠は?

特にいませんが、憧れとしては望月さん。

ライバル・良き仲間はいますか?

前回TJARでも行動を共にした嬉野すり~の石田さん、阪田さん
STS、DMJ、こあしす山民会、すぽるちば、ひとみ会、アドベンチャーレース系の方など良い仲間に恵まれて多くの刺激を受けてます。特に飲み会で(笑)

自分はどんな人間だと思いますか?

負けず嫌い、優柔不断、新し物好き、研究熱心

レースにおいて常に心がけていることは何ですか?

楽しむ。順位やタイムではなく内容に満足するレースをする。

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