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トップランナー | 『トレラン王国』が応援するリスペクトすべきヒーロー&ヒロインたち

第47回 野本哲晃さん

第47回 野本哲晃さん

野本さんは九州トレイルランの第一人者として知れ渡る。学生時代からトラックとマラソンで鍛え上げた足腰と経験値は、彼ならではの大きな武器だ。やがてトレイルランの世界に飛び込んできた野本さんは、耐久レースに真髄を発揮し今や日本のウルトラトレイルのリーダーとして活躍中だ。心拍数が上がるのは望むところ。頂上を目指す若手選手たち、野本哲晃を追え。

野本哲晃(のもと・てつあき)

1975年4月6日福岡県福岡市出身。田隈中学陸上部へ入部をきっかけに高校・大学と10年間陸上に専念。大学時代の専門種目は1500m。社会人になってからも市民ランナーとして数多くのマラソン大会に出場。2007年『ハコネ50K』で5位入賞を皮きりにトレイルレースにも本格参戦。09年第2回『OSJおんたけウルトラ』で優勝を飾り一躍全国区に。11年は2度目のおんたけウルトラ制覇、13年八ヶ岳スーパートレイル100Km優勝。昨年のUTMFでは日本人トップの7位に入り面目を保った。日本を代表するトレイルレース長距離界のエースの一人。

[愛用マテリアル]

●シューズ/バスク、HOKAoneone
●パック/ウルトラスパイア
●ウエア/特に限定なし
*2015年8月現在

野望を胸に福岡から全国区へ

初出場の2013UTMF、前半の青木ヶ原樹海に日本人トップで登場
初出場の2013UTMF、前半の青木ヶ原樹海に日本人トップで登場

本格的な夏の到来を告げる博多祇園山笠、2週間にわたって繰り広げられる男たちの祭りでにわう福岡県博多へ野本哲晃さんを訪問した。昨年のNHK大河ドラマの主人公、黒田孝高が築城した福岡城址に隣接する大濠(おおほり)公園では、陽が高くなっても大勢の市民ランナぎーたちが走っている。
「ここは福岡の皇居です。週末や仕事帰りにランナーが集まってくる。ここ数年福岡もマラソンブームでランナーがとても増えました」と野本さん。
話を伺っている間にも何人ものランナーが野本さんに声をかける。そう、野本さんは地元ではちょっと名の通ったランナーなのだ。野本さんとは2年前のUTMF(ウルトラトレイルMt.FUJI)からの顔見知りだが、なにしろ九州のランナーということもあり年に1、2度、大きなレースでお会いするのが常で、再開は昨年のUTMF河口湖以来、約1年ぶりだった。普段の野本さんはとても気さくで人懐こい笑顔が印象的、若手のランナー達からも慕われるアニキのような存在だ。

1500mのスペシャリスト――
第66回福岡国際マラソン(2012年)の一コマ、地元大会だけに気合が入る
第66回福岡国際マラソン(2012年)の一コマ、地元大会だけに気合が入る

トレイルランナーへの足跡を訪ねると学生時代から走って来た人が多い。野本さんもまた青春時代を陸上競技にかけたランナーだった。ただ本人曰く、まったく輝くことのできなかった平凡な陸上部員。
福岡市立田隈中学に赴任してきた田中先生は順天堂大学で箱根駅伝を走った元駅伝ランナー。陸上部の顧問に憧れて入部した陸上部だったが3000mは県大会レベル、全国レベルには30秒も遅れていた。

「高校も陸上部でしたがちゃんと練習しなかったため中学時代のタイムすら切れなかった。5000で16分50、かなりガンバって」

エンジニアを目指し大阪府立大学工学部に入学。改めて府立大陸上部の門を叩く。

「まだ走り足りなかった? どうしてでしょうかね。陸上でやり残したことがあるという無意識な意識があったのでしょうか。皆が好きな種目に専念するこじんまりとした部活でした。目指したのは1500mのスペシャリスト。高校の時は長距離でキャラを出すことができず、短い距離に集中しようと。でも今はなぜか100マイルですが(笑)」

トラック競技で一番きついのは800~1500m種目と言われている。この距離は短距離のスピードに筋持久力を求められるのだが、心臓から酸素を筋肉へ供給するも、そのスピードに身体が追いついて行かないためだ。よく「心臓が口から飛び出しそうになる」と表現される種目だ。

「800mを超えたころ、両腕の先の方から痺れてくるんです。身体が酸欠を起こすのです。そこからいかに我慢して走り切るか、無酸素状態でもがくことができるか…、ドMですね」
「大学時代も相当遅かったです。誘惑が多くて何度も陸上を辞めようと思いました。でも2年の春に少し成果がでてきたことが分かって、苦しさの中に楽しさを見出せるようになった。あのとき走ることを辞めていたら、今頃大濠公園のランナーを観て『物好きだな』と思っていたでしょうね」

大学4年、鹿児島県与論島に友人と卒業旅行にでかけた。
「卒業間近の春休みに大阪から船のツアーがありました。たまたま『ヨロンマラソン』開催に重なっていて6人で出場。初マラソンでしたが2時間43分で走って優勝してしまいました。足は何度もつりましたが、心臓はそれほどきつくなかった。1キロ4分のラップは実は楽だった。最後まで行けちゃったんです」

マラソンにはまった。2度目のマラソンは2時間34分、ハーフにも出場し1時間10分切りを達成した。国際大会の出場基準は目前だった。大学時代、毎回酸欠になりながらトラックを疾走した経験がロードで活かされたのだ。
大学院2年で東京国際マラソンに出場。高橋尚子さんの2時間21分(当時のラップ)を目指して走ったが、脱水、35km関門でリタイアという悔しい体験をする。この経験は市民ランナーへのステップになる。もうマラソンから離れられなくなった。
31歳、2006年12月、4回目の福岡国際では2時間23分24秒の自己ベストを達成。以来、福岡国際だけでも13回、全国の名だたる大会を30レース以上出場してきた。

九州に野本哲晃あり――
2014年UTMF、強豪の欧米選手に混ざり日本人トップ(7位)で凱旋する
2014年UTMF、強豪の欧米選手に混ざり日本人トップ(7位)で凱旋する

幼いころから近所の里山を走りまわっていた。学生時代も山でトレーニングをした。ただ九州にはトレラン大会がなく、どうもイメージが湧かなかった。山の専門誌で石川弘樹氏がトレイルランをやっている姿を見た。「山だったら自分も走れるはず――」。そして2006年の日本山岳耐久レース(ハセツネCUP)に満を持してエントリー。

「何もわからず出ました。もちろん普段履き慣れているランシュ―にハイキング用のリュックを背負って出ました。ハイドレーションがどの程度有効なものかはまったく知らず、水もエイドの度にリュックから出して補給していました。レースは第一関門はトップグループで通過しましたが、途中でコンタクトを片方落としてしまい、第2関門の月夜見であえなくリタイアしました。でもこの体験でトレランが分かりました 」

翌2007年5月、神奈川県箱根で開催された『ハコネ50K』に参戦。1位鏑木毅、3位相馬剛、4位望月将悟という名だたるランナーがひしめくなかで、福岡から遠征してきた野本さんは5位入賞。その名を関東にアピールした。

「5位の入賞の品にグレゴリーのパックがあり嬉しかった。九州ではなかなか手に入らないので」

モンブランへの挑戦で得た経験値

2009年おんたけウルトラ100kで優勝。その名は全国区に【写真提供:オールスポーツコミュニティ】
2009年おんたけウルトラ100kで優勝。その名は全国区に【写真提供:オールスポーツコミュニティ】

野本さんの破竹の快進撃が始まった。九州初となるトレラン大会、2008年の『九州脊梁山脈トレイルラン』に優勝、2009年、2回目の『OSJおんたけウルトラ』では関東、甲信越、東海の有力選手を相手に初優勝。その名は全国紙に載った。ちなみにこの年の準優勝は望月将悟選手。その後にも有力選手が名を連ねる。

「中央では僕はまったくの無名選手なので驚かれましたね。メディアや大会関係者からも『何処から来たの? 経歴は?』といろいろ質問を受けました。」

この頃マラソンは2時間20分台でコンスタントに走れるようになっていた。野本さんにとっての最大の目標は20分の壁を破り、10分台の領域に入ることが最優先となった。そこで、トレイルランは当面、夏のウルトラ(超長距離)レースに専念することにした。

満身と挫折――
2013年八ヶ岳スーパートレイル100KMの部優勝。それにしても絞ってますね 【写真提供:オールスポーツコミュニティ】
2013年八ヶ岳スーパートレイル100KMの部優勝。それにしても絞ってますね 【写真提供:オールスポーツコミュニティ】

2011年、『OSJおんたけウルトラ』 で2度目の優勝、この年の『UTMB』(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)に初当選。初の海外トレイルレース、初の100マイルに挑んだ。

「横山(峰弘)さんから、おんたけを調整レースに使えばいいとアドバイスを受けてのレースでした。しかし結果として初のUTMBはシャンペ(イタリアとスイスの国境/120km地点)でリタイアとなり、とても悔しい思いをしました。この年は鏑木さんが7位、山本健一さんが10位でしたが、実はスタート前は二人に勝ちたいとこっそり思っていました。スタートは前年度の入賞者以外は後方に並びますが、その数たるや凄いものでスタートラインを通過するのに10分かかりました。
始めからガンガン飛ばして20~30km間で一度日本人トップになりました。これ以上進むと筋肉がこわれるところまで責め、70kmのクールマイヨールでは完全に足が終わっていました。スタート前は、『100マイルは100kmの延長。おんたけの感覚で100マイルを走れば17時間台…』、この目論見はあさはかでした。日本の山とモンブランは路面の硬さが違う、登りと下りの間隔が大きい。もちろん頭に入れてはいましたが身体が順応できませんでした」

大きな敗北感。この大会から1年半は地元平尾台のレースにしか出なかった。
2012年にUTMFが始まる。しかし野本さんは「100マイルの恐怖」を払拭できず出場はしなかった。そして翌13年第2回大会、2年ぶりにウルトラトレイルの舞台に帰って来た。結果は11位(日本人3位)。モンブランの経験が生きていた。
翌年14年春のUTMFは日本人トップの7位で入賞。前半30km地点の杓子山まで日本選手リーダーとして海外の有力選手に混ざりトップグループを形成した。

「前年度チャンピオンの原選手との日本人対決もありましたが、外国人選手に対しては、簡単には引き下がらないというプライドがあったと思います。その後、原さんがリタイアしたことを知り、日の丸を一人で背負うことに。ベスト10に日本人が一人も入らないのはまずいと思いました。大きく崩れないようにペース配分に注意しレースを組み立てました。そしてどうにか7位でフィニッシュできました。自分としてはベストレースでした。
実はこのレースはトラブル続きで、西富士ではいるはずのサポートと合流できなかった。万全の補給ができなかったこともあり、足がつりっぱなしでした。このレースは学ぶことの多いレースでした。100マイルレースではアクシデントの一つや二つは当たり前。いちいち心が折れていては続きません。あと、コースマップは分析しすぎない。いろいろ戦術を練ったところでそれが達成できなかった時の精神的なダメージの方が大きいのです。ひとつ上のステージへ上がるためにはどんなことも受け入れる。おおらかにレースを楽しむ、これがすべてだということを知ったレースでした」

孤高の戦い――
大会前にFacebookで知り合った知り合ったAkikoさんとJordan、親友の大瀬さんと
大会前にFacebookで知り合った知り合ったAkikoさんとJordan、親友の大瀬さんと

2015年5月、野本さんはオーストラリア東部、シドニーから60kmのブルーマウンテン国立公園の町、カトゥンパにいた。『TNF100』に出場するためだ。トレイルランニングの国際競技団体UTWT(ウルトラトレイル・ワールドツアー)からの招待選手としての参加だった。この大会、日本からは野本さんと共に、大瀬和文、小林慶太、須賀暁の若手エースが出場。

「ブルーマウンテンは国立公園ということもありトレイルは整備され階段が非常に多いレースでした。僕はGPSを持たない、ラップもとらないから時計を見ることもない。いつも身体と会話しながら走っているんです。スタートとゴールタイムだけを見る。トラックを走るわけではないのでトレイルランは本来そうあるべきです。フランスのデンヌ、今回優勝したアメリカのディラン・ボウマンがレースを引っ張り、僕ら(日本人選手)は20位前後に固まっていました。ところが後半勝負どころで上位選手が落ちてこない。しかも80kmくらいまで順位に変動がなく一人ぼっちのレース。まさに自分との闘いです。
このレースは100マイルを経験している選手ばかりなので、100km程度では落ちてこないのです。最後の10kmが登り、自分はそこが強みなので3人抜いて12位。それ以外は順位は変わらない、それくらいレベルの高いレースでした。ちなみに今年の自分のタイム9時間58分は昨年だと4位に相当、上位には中国のマラソンのナショナルチーム経験のある選手が2人ランクしていました。マラソンで2時間10分台の選手と聞いています。欧米のみならずアジアに有力な選手は大勢います」

まもなく今年のUTMBがスタートを切り、9月にはUTMFが開催される。ビッグレースひしめく秋。野本さんには大きな舞台が待つ。
経験は豊富で、戦い方も走り方も知り尽くしている。ウルトラトレイルのマエストロ(名指揮者)――そんな形容が相応しい。山全体がオーケストラ、野本さんは指揮しながら曲の調和を整える。そして演奏はいくつかの抑揚と高鳴りを経て、さらなる感動へと観客を引き込むエンディングを期待したい。


インタビュー=2015年7月5日

野本哲晃さんへの質問

好きな言葉・座右の銘を教えてください

未来を変えるために今を生きる。
要は気合!

トレラン以外でいま、熱中していることは

マラソン
読書

あなたにとっての師匠は?

ゲブレシラシエ
サッカーの三浦カズ選手

ライバル・良き仲間はいますか?

ライバルは同世代の東徹くん(マラソンもトレランも刺激もらっています!)
良き仲間は大濠公園を走るRun仲間、チーム野人のメンバー

自分はどんな人間だと思いますか?

おおざっぱ。AB型だが90%はB型? せっかち。

レースにおいて常に心がけていることは何ですか?

魂の走りをする!
ハートは熱く、頭はクールに!

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