レースレポート Vol.16 トル・デ・ジアン 巨大な旅
鶴橋美由紀(つるはし・みゆき)
「世間並みのフィットネスを」で5年前からランニングを始め、友人の誘いでその年の秋にハセツネCUP完走。2010年OSJ志賀高原大会2連戦総合で決定する「クイーン・オブ・志賀高原」の2代目クィーン。1年間、フランス料理を学ぶために渡仏。現地で『ウルトラトレイル・デュ・モンブラン』を目の当たりにする。09年にcccクラス完走、今年8月念願のUTMBを走る。静岡県焼津市出身。毎年訪れるシャモニーは第2の故郷。
去年の夏、私は例年のようにフランス・シャモニーにいた。
誰からかは覚えていないが、この9月にイタリアのアオスタでなんだかすごいレースが開催されるということを聞いた。
アオスタ州はイタリア北西部、フランス、スイスとの国境に面するイタリアでもっとも小さな州。中央を流れるアオスタ川の南北に3000mを超える山岳地が広がり、国境にはモンテビアンコ(モンブラン)、チェルビーノ(マッターホルン)がそびえ立つ。いずれもフランスとスイスを代表するヨーロッパアルプス屈指の名峰だが、この二つの名峰、実はイタリア・アオスタの山でもあるのだ。風光明美なアルプスの山々に囲まれた谷には、高原リゾートやスキー場が数多く点在、セリエAなどプロスポーツのキャンプ地としてもよく利用され、古代遺跡も多くアルプスのローマとも呼ばれている。
アオスタへはシャモニーから国境を超えてバスで1時間ほど。何度か遊びに行っていたので、馴染みがある街だ。ただ、それ以上の関心を持たなかったので、その話はそれで終わった。
December 2010

- スタート後、街中を抜けるとそこは大自然。選手が連なり、峠までカラフルな道が続く(M.T)

- 最初のピークCol d’arp「コルデ・アルプ」(標高2571m)を越えたところで応援する人達(Bana)
夏が終わり日本に戻り、アオスタで行われたトレイルレース『Tor des Géants(トル・デ・ジアン) 』の記事を目にした。
「330k/24000 D+/150h maximum」
この数字を見て、ピンとはこなかった。
ただ、写真を見て、そこに行ってみたいと思った。
12月 東京でTor des Géantsの報告会があることを知り、報告会に参加した。
アオスタ州観光協会のプロモーションビデオを見て、レースの詳細を聞き、出場することを決めた。
Grivel(グリベル=ピッケル等で有名な地元のアウトドアブランド)の黄色のバックがかわいい!! あの山に行きたい!! X参加費350€は安い!!
即決だった。
ひとつ悩んだ事は…。
2011年UTMBの出場優先権を持っていたので、UTMB参戦を決めていたこと。
果たしてUTMBの2週間後に330kのレースを走れるのだろうか?
「まぁ、何とかなるでしょう。」という思い込みで、エントリーした。
壮大なイタリアンアルプスの懐へ
10 septembre 2011
シャモニーからクールマイヨールに移動した。クールマイヨールはアオスタ谷上流の山岳リゾートでトル・デ・ジアンのスタート、ゴールとなるメイン会場でもある。
街中には、今大会のポスターが至る所に貼ってあり、お祭りモード全開。街の雰囲気にすっかりいい気分になり、期待感が高まったまま、ゼッケンを受け取りに受付会場へ足を運んだ。

- 初日最後のコルを通過、雲行きが怪しくなり…空が光り、雷の連続。「落ちませんように」とただひたすら祈る。神頼み(M.T)
受付会場には、既にたくさんの選手が集まっていた。
イタリア人、フランス人が多かった。オフィシャルの情報によると、22ヶ国、506名の選手がエントリーしているという(女性51名、男性455名。最高年齢72歳、最低年齢24歳、平均年齢45歳)。
周りを見渡すと、40代、50代の男性が多く、割と年齢層は高めかなぁという感じ。
おっと、そこに友人の姿が…
シャモニーの友人、ステファンがいた。彼とは2008年のシャモニーのレースで知り合った。お互い、偶然の再会にビックリ!! その後ろにも見覚えのある顔がいた。UTMBのスタッフ仲間だった。 マックスとフェデリコ、自己紹介をし、トル・デ・ジアンの健闘を誓い合った。
なんだかレースの楽しみが増えた。
11 septembre 2011
スタート地点の教会の前は、ものすごい活気だった。選手達は、これからの長旅のスタートを待ち望んでいる。もちろん期待だけじゃない、不安な表情の選手もいる。
クールマイヨールの街の人々に見送られ、朝10時、私たちは巨人の旅をスタートさせた。
沿道には、沢山のオーディエンス、未知の世界への旅立ち、気分は最高潮!!
クールマイヨールの街を数キロ走り、トレイルへと入る。
標高1,224mの街から2571mのコルへファーストアタック。森を抜けて、牧草地へ入る。上を見上げると、遥か先にコルが見える。トレイルに沿って人が続く、後ろを振り返ると、また人が続く。空にはヘリの空撮部隊、私の横を馬が走る。何故か、犬と一緒に走っている選手もいる。何とも不思議な世界だ。
最初のコルに辿り着くと、これまた沢山の観客。2,500mで私達を出迎えてくれ、allez!! (行け!!)、vravo!!(ブラボー!!)と応援してくれ、私も元気にgrazie!!(ありがとう!!)と応援に応える。
さぁ、次は1,000mのダウンだ。激しいアップダウンを繰り返すから、累積標高も24,000mと桁違いだよなぁと冷静に考えながら、前へ進む。

- 3日目。今日は快晴!! 放牧地を直進、こんな光景がしばしば 牛・牛・牛 その名はアオスタ牛(M.T)

- 黄色のシェルターは、コースの随所に設置された緊急用。トルデジアンのためにヘリで上げてコース上に設置された。中にはスタッフが常駐している(S.E)
今日の天気予報は、夕方から雷雨の予報がでていた。天気を考慮して、やや早めのペースで進めて、ライフベースでゆっくりしようと思っていた。
ファーストステージ終盤頃から雨が降り出してきて、雷も鳴り始めた。3つ目のコル(標高2,829m)に向かっている途中、空が光った瞬間に雷が落ちた。マジで焦った。後ろの選手と一緒にギャーギャー騒いだ。心の中で、落ちませんようにと祈りながら、進んだ。辺りはすっかり暗くなり、雨の降る中ヘッドライトを装着してのランに少し疲れてきた。早くライフベースに到着して寝たい。そう思いながら進み、22時22分に最初のライフベースvalgrisenche(ヴァルグリザンシュ)に到着した。既に沢山の選手が到着して、込み合っている。
ライフベースでは、食事を取り、シャワーを浴び、ベッドで睡眠を取る事ができる。あらかじめ預けていたライフバックを受け取り、荷物の入れ替えなどもここでできる。
私は明日の準備をし、4時間後に目覚ましをセットし、横になる。外は、しきりに雨が降り、雷が鳴っている。到着する選手もいれば、次のステージに進む選手もいる。私はしっかり睡眠を取りたかったのだが、少し興奮していた事もあって、横になっただけで、良く眠れなかった。
持っていったおにぎりとインスタントのみそ汁でしっかりと食事をとり、朝4時30分頃次のステージに進む。
12 septembre 2011

- トルデジアンのルートを記すフラッグ。このマークを目印に、進め〜〜!! (M.T)
第2ステージは、少し長いうえに3000m級のコルを2つ超える。最高地点のcol loson(コル・ロゾン/標高3296m)もこのステージにあり、gran paradise(グラン・パラディーゾ)国立公園を通過する魅力的なステージだ。
笑っちゃうくらいの強烈な急斜面の上り、コルを越えたら落ちてしまいそうな急斜面の下りが現れ、壮大なアルプスの景色に私は圧倒されまくっていた。
いつも行く甲斐駒ケ岳がかわいいと思えた。そして、私の知っているシャモニーの山とはまた少し違う、valdôtainesの山を知った。2日目にして、トル・デ・ジアンのスケールの大きさを知り、すっかり虜になっていった。
が、正直キツかった。
山を下りてからライフベースにまでのロードがとても長く、泣きながら走った。ライフベースに到着すると、ステファンとフェデリコがいた。
「大丈夫か??」「このコースは気に入ったかい??」なんて声をかけられたが、一言「大丈夫。でも…キツい!!」と言ってしまった。「明日は、少し楽なステージだよ。」「皆、同じさ!!」って慰められた。
そうだ、皆同じだ。ご飯を食べて、寝て、また頑張ろう。
cogne(コー二ェ)のライフベースには、日本人のスタッフがいた。話を聞くと、イタリア人の奥さんと結婚して、この街でイタリア料理の店をやっているという。ここで食べたミネストローネが一番おいしかった。
今日こそは寝るぞと思い、ビールを2本飲んで寝たが、今日も眠れず、横になってうとうとしていただけだった。
朝4時過ぎにcogneの街を出て、第3ステージへと進んだ。

- 4日目。絶景に心うっとり。池のほとりで少々昼寝タイム。私、幸せです(S.E)

- 5日目正午。腹ぺこです。ハム、チーズ、パスタ、ミネストローネでランチタイム。美味しかった(M.T)
満天の星空の下でひとり旅
13 septembre 2011
1日目、2日目とライフベースでの時間を長めに摂っていたため、すっかり後ろの方のグループになってしまった。前後のランナーは見当たらず、暗闇の一人旅。一人ただ進んでいると、今更ってタイミングで睡魔に教われる。ふらふらしながら前に進み、小エイドまで辿り着いた。小エイドにはおじさんが一人外で待機していてくれた。紅茶をもらい、簡易チェアに座ると紅茶を持ったまま寝ていた。15分くらい寝ていた。
ふっと目が覚めて、紅茶を飲む。おじさんはその間も外にいた。どこから来たの??とかフランス語はどこで勉強したの??と聞かれ、おしゃべりをし、少しイタリア語を教えてもらったりしていたら、すっかり目が覚めた。スタッフの皆は、トップの人が通過してから最後の人が通過するまでの間、(途中で交代をしていたとしても)かなりの長い時間、私達を待っていてくれている。本当にありがたい。ciao!(チャオ)と挨拶を交わし、先へ進んだ。

- Col di Nana(コルデ・ナナ)に到着。ここが360度の大パノラマ。説明してもらわないと分からないくらいの山の数(M.T)
このステージは、1つコルを超えたらあとは下り、標高2827mから330mまで下る。
朝方は霜が降りていたが、日が昇ればかなり暑い。そして今日の天気はピーカン。
いままでの岩山の深い山間とは景色が変わり、牛のいる緑の牧草地を直進したり、川沿いを走りったりした。高度も下がってくると、真夏のような暑さにやられる。時折、川の水で頭や足を冷やしながら進んだ。
alta via 2はこのステージで終わる。トル・デ・ジアンのコースは、alta via2とalta via1の2つのルートからなっている。この2つのルートはアオスタ州のメジャーなトレッキングルート。ちなみに『alta via』(アルタヴィア)とは「天空の向こう」という意味。 なかなか素敵なルートだったが、私達の巨人の旅はまだまだ終わらない。次のライフベースdonnas(ドンナス)へ向かう。
夕方17時頃donnasに到着する。
下り基調のこのステージで軽快に下ってきたはいいが、3日目、約150kも進めば足に異変が現れる。右足の脛がおかしい。ひとまず、シャワーを浴びて、食事をとった。
同じ時間帯に到着した選手は、1〜2時間の休憩を取り、進んでいく。私は少し考えて、ゆっくり進む事を選び、マッサージを受ける事にした。

- 6日目の朝、午前6時 夜が空けて、初めて湖の周りを走っていたことに気づく。広大な雲海(Bana)
マッサージ後、1時間ちょっと睡眠を取った。爆睡した。周りが騒がしくなって、そろそろ時間なのかと時計を見たら21時過ぎ、「まだ大丈夫だよ。」とスタッフに声をかけられ、もう少し横になった。
その後、レスキューでマメの手当をしてもらい、23時頃donnasを出発する。
出発際、マッサーのおじさんにmerciと握手をした。おじさんは山の方を指で指しながら、これから進む道のりを説明してくれた。ありがとう。行ってきます!! donnasのスタッフに応援され、見送られ、先に進んだ。
14 septembre 2011

- リフージョのスタッフの皆様、お世話になりました。素敵な小屋ですっかり長居。リフージョとは避難小屋のこと(M.T)
真夜中の一人旅が始まる。
午前2時頃、睡魔が襲い始めふらふら歩きになる。ふらふら歩きになると、全然先に進めない。次のエイドまではまだ少し距離があるので、一旦草原に腰を下ろした。
空を見たら満天の星空だった。そのまま、草原にゴロンと寝っ転がった。星空が本当に綺麗だった、そしてそのまま寝てしまった。おそらく30分くらい寝たが、選手が通った感じはしなかった。
再び、一人旅。
やはり、前後に人の気配はない。マークをしっかり確認し、道が合っている事だけを確かめながら進む。夜中に教会の鐘の音がゴーンと鳴る。動物の鳴き声が突然聞こえる。小さな集落の家と家の間を進む。時々、廃虚になった家がある。ちょっと覗いてみると、お化けでもでてくるんじゃないかというような場所を一人で通る。まるで、肝試し。
あまり深く考えると怖くなるので、そのまま進み、集落を通り過ぎると、牧草地の急な登りに入った。
ヘッドライトの光でマーカーの反射板が光る。光った先を繋げていくとそこにはオリオン座が見える。おそらく道は蛇行していたのだろうが、オリオン座に向かって一気に登った。登りきった先には、大きな光が見えた。次のエイドのcoda(コーダ)小屋だ。目の前は谷、ぐるっとトラバースして小屋まで進む。前からライトが2つ進んでくる。あれっ!? 道間違えたかなっと一瞬思うが、ハイカーだった。ちょっとビックリした。
道を少し下り、小屋に続く上りを登ると空がだんだん明るくなる。まさかまさかのサプライズ!! 登りきったところで、ご来光。あまりの美しさにしばらく動けなくなる。涙も出てきた。ここまで頑張ってきた最高のご褒美だった。ここで自然の力の偉大さを体で感じ、心にも刻まれた。

- 午前11時、最後のRifugio Bonatti(リフュージョ・ボナッティ)を出発。さぁ、旅の終点まであと少し。虹を渡れば、クールマイヨール(M.T)
coad小屋にたどり着き、山小屋のスタッフに暖かく迎えられ、軽食を提供してもらった。とても素敵な小屋だった。やっと、旅の中間地点だ。
先へ進む。このステージはalta via 1の序章、アオスタ州の端の山間部を進む。岩山の深い山間部、2,000mからなかなか降りずにしばらく天空の旅が続く。このステージがこのコースの中で1番厳しいというのは分かっていたので、覚悟はできていた。
顔見知りの選手もこのステージで何人かリタイヤした。
前日の23時に出発し、このステージが終了したのが21時40分。約23時間の行動時間。こんな経験も初めてだ。
gressoney(グレッソネイ)のライフベースに到着し、いつものようにシャワーを浴び、食事をとる。この日はいつにも増してよく食べた。サラダ大盛り、ミネストローネ、パスタ、デザート、ビール。翌日の準備をし、少し横になる。寝るつもりはなかったが、さすがに疲れてしまったようで、爆睡してしまった。0時30分、スタッフに起こされた。関門が1時なので、その前に出発しなければならない。慌てて着替えをし、1時に出発した。
15 septembre 2011
gressoneyから7kmも程進んだところの小屋で仮眠を取る。2時間仮眠を取り、起きるとスイーパーが既に待機していた。小屋までのマーカーの回収は終わっていたようだ。ここで、行程表のpass lento(推定最遅通過時間)を1時間30分以上もオーバーしてしまった(コースの詳細表に推定最速通過時間と最遅通過時間が記されている)。
2時間の仮眠を取り、体の調子も良かったので、快速ペースに切り替え、遅れた分の取り戻しにかかる。5日目にもなると、すっかり旅の勝手も分かってきて、余裕もでてきた。周りの選手達とも仲良くなった。はじめの頃はciaoと挨拶するくらいだったが、だんだん仲間意識が芽生え、いろいろ話すようになった。
旅の楽しみでもある。

- エイドステーション、チェックポイント、山小屋、ライフベースが計49カ所もある(Bana)
旅の行程の3分の2を過ぎた地点は、monte bianco(モンテビアンコ)、gran paradise(グラン・パラディーゾ)、 monte rosa(モンテローザ)、 monte chervino(モンテチェルビーノ) と4000m級の雄大なる山々を360度ぐるっと見渡せる展望だ。地元の選手、ピエトロが山を指さしながら私に山の説明をしてくれた。「あれは、一日目の山。あれが、最高地点の山。あれは、これは…」、そして「これは、大きな旅だ!!」と最後に付け加えた。
数日前に越えた山は、はるか遠くに見え、すでに懐かしい思い出となっている。
とても楽しい一日だった。このステージは、距離が一番短く、夕方にはライフベースに辿り着いた。
2時間の睡眠をとり、食事もしっかり取った。ライフベース、小エイドで迎えてくれるのは
、地元の人々だ。全部で34のコミューンを通過する。提供される食事は、似たような物ばかりだが、コミューンによって少しずつ違う。もてなしも、またそれぞれである。
そして、皆優しい。本当に暖かく、陽気だ。
残り100km。 valtournanche(ヴァルトゥルナンシュ)の街を出て、旅を続ける。
今日もまた、夜中の一人旅が続く。
背後にものすごく大きな気を感じる。暗闇でよく見えないが、3000m級の岩山が連なっている。山のパワーを体で感じ、テンションが上がる。「やっぱり、山はいいねぇ〜〜。」
巨人の旅の終点
16 septembre 2011
しばらく進むと、小エイドに日本人選手の吉本さんがいる。これまでも何度か日本人選手とすれ違い、共に旅を楽しんだ。今夜は、吉本さんと二人旅。
途中、岩山の中の放牧地に入り、道標のマーカーの間隔がとても長くなる。マーカーを探しながら、右、左ときょろきょろしながら進む。「おかしいねぇ。スタッフの持ってきたマーカー少なかったのかもねぇ。それか、牛が食べちゃったのかもねぇ。。。」なんて、後ろを向きながら吉本さんと話をする。話が終わり、振り向いたその時、ヘッドライトの光で目が光った。
「でたぁぁぁーーーーー。」
あまりのタイミングに二人で驚いてしまったが、牛でした。
(牛さん、ごめんなさい。起こしてしまいましたね。)
マーカーは、牛に食べられた形跡もあった。
あとから聞いた話だが、牛がマーカーを食べて、道がわからなくなる事件が多数勃発した模様。上位選手も、電話で大会本部と話しながら道を探したり、電波が届かなくなったら、自力で探したりしたようだ。
そして、今日もまた、いつもと変わらぬ夜が明けた。

- クールマイヨールにてセレモニー。完走者一人、一人が名前を呼ばれ、カンツォーネと共に・・・レッドカーペットを歩く感激!! (T.S)

- 「楽しすぎー!ゴールするのがもったいない。また挑戦したいなぁー」by望月さん(J.K)
ここまでの道のり、約280k。さすがに体も辛くなってきた。
すれ違う選手と言葉を交わすが、皆辛そう。
心身共に疲れ切っているはずの選手達だが、なぜか顔が穏やかに感じる。
不思議な旅だ。そして、その不思議な旅を皆楽しんでいる。
私もその一人だった。
この頃から素敵な合言葉ができた。「à Courmayeur!!」(ア クールマイヨール)
すれ違った選手、スタッフと、別れ際に皆、笑顔でそう挨拶する。
「クールマイヨールまで!!」「クールマイヨールで会いましょう。」そんな意味合いだ。
最後のライフベース、Ollomont(オロモン)では、私を含め日本人選手3名が最終ランナーとなった。
スタッフ全員が見送りに出てきてくれた。
掛け言葉は、そう…「à Courmayeur!!」
見送りに元気に答え、ゴールするという強い意志を持ち、Ollomontを出発した。
17 septembre 2011
最終ステージ1つめのコルを通過したところで、いよいよ最終日に突入。
長い下りに入ったところで、再び足の異変。
右足に力が入らなくなる。痛くて、足を地面につけられない。
今までに経験した事のない事だった。800m下らなければならない。とりあえず、右足をを引きながら下りてみる。なんとか、進める。このまま行っても良かったが、今度は余計なところに力が入って、他が痛くなりそうだ。困った、困ったと思いながらあれやこれややってみた。下りの途中で地面に座り込み、ヘッドライトの光でテーピングをしてみたり、ストレッチしたり、マッサージしたり。
休みながら、進みながらを繰り返した。800m下った後は、10kmの林道が続く。
とても長かった。誰も選手が通らない。誰も人はいない。夜中の3時、辺りは静まり返っている。こんな時に一人は、どうしても心が折れる。睡魔も襲ってきて眠い。しばらく腰を下ろして、動けなくなってしまった。少し寝ていたと思う。いままで前へ前へ進む事だけを考えていたが、ここで初めてゴールできないかもしれないと思った。座ったまま、ずっと泣いていた。

- 「次回リベンジするぞ!!」by間瀬さん(J.K)
つづら折りの下りを、ヘッドライトが2つ下りてくるのが見えた。
「ヤバい、スイーパーだ」と思った瞬間、我に返った。
「ここで、終わりたくない。」
気持ちが勝った。さっきまでは歩くのも精一杯だったのに、走って進んだ。足も動くし、走れるじゃないか。その後の上りもグイグイ進めた。最後のコル、col Malatra(コル・マラトラ)にたどり着いた。目の前にはグランドジョラス(Grandes jorasse=ヨーロッパ3大北壁のひとつに数えられる名峰。標高4,208m)がそびえ立つ、コルから続く道はグランドジョラスの方へまっすぐに進む。”Go to heaven”
ここは、まだゴールではないが、コルに到着した時の開放感は格別だった。さぁ、後はゴールまで下るだけ。もうすぐ、旅が終わる。嬉しいような、寂しいようなそんな気持ちで走った。
午後2時過ぎ、私は途中で出会った愉快な仲間達とクールマイヨールの街に戻ってきた。ゴール前、最後のフィナーレはレッドカーペット。先にゴールした日本人選手が待っていてくれた。Bravo!! Grande!!たくさんの賞賛を浴び、巨人の旅の終点に辿り着いた。共に旅した仲間と互いに讃え合った。ゴールには、途中リタイアしてしまった選手も待っていてくれ、自分の事のように喜んでくれ、讃えてくれた。

- 「楽しかった! プライスレスってのはTDGにぴったりだ」byばななさん(J.K)
330km進めば、足はもちろん痛い。辛い出来事もたくさんだった。
ただ、終点についた時は、楽しい記憶が勝っていた。また、走りたいと思った。
雄大な山々、豊かな自然、美しい景色、素晴らしいホスピタリィのアオスタの人々、スタッフの皆、素敵な仲間達、最高の観客、その全ての融合体がトル・デ・ジアンであった。あまりのスケールの大きさに、ただただ圧倒されるばかりだった。
そしてそれは、夢のような出来事だった。今までに経験した事のない出来事。もしかしたら、” Tor des Géants ”は夢の冒険なのかもしれない。
2011年9月11日(日)〜18日(日) スタート11日10:00 |
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330km |
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150時間(途中関門に制限時間あり) |
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24,000m(3,299m) |
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473名(47名) |
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63.6%(完走301/出走473名) |
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